Summer 1969
「えぇ~と、Cは、これとこれとこれ…ジャラーン、Amはこれ…ジャラーン、そんでもって、♫〜(C)フランシーヌの(Am)場合は〜 」
1969年の夏、自分は、兄が高校の同級生の友人から借りていたガットギターで、最近はやりの“ハンセンふぉーく”の歌、新谷のり子「フランシーヌの場合」の、さわりだけを雰囲気で弾いていた。
ギターは、もの珍しくて、絃を触って音が出るのがオモシロイ。ある部位を押えつま弾くと、互いに響きあう音になる。それがとても新鮮ナノダ!自分は兄から教えてもらった単純なコードを押えて遊んでいる。Cは午後の日溜まりのような感じ。Amはちょっとサビシクて夕方っぽい。ああ~でも、これ以上は弾けなぁ~~い。
7つ年上の兄は佐世保の高校の3年生。家からは遠いので市内に下宿してる。なので週末に帰って来た時、自分と少し遊んでくれる。
兄の行ってる高校では、この夏のはじめに「バリフウ」というのがあったらしく、ナンダカすごい騒ぎになったミタイダ。兄のお友だちが「キンシン」というのになったらしい。兄もその仲間ではなかったのか?と、えらく怒ったようにお母さんが心配していた。少し前お母さんは似たようなことで、兄の行ってる高校に呼び出されたらしいのだ。
「バリフウ」って、どういうのか知らないけれど、去年の秋に佐世保で、「エンプラ」とかいうのの反対とかで、玉屋の向こうの橋の上でエライ騒ぎがあった。また、今年のまだ寒い頃に、東京の「トウダイ」という日本一の大学の「ヤスダコウドウ」とかいうところで、なんか高い塔にいる大学生と消防車のホースの水で、なが〜い時間、基地ゴッコ見たいなのがTVであっていてオモシロカッタのだけど、なんか、そういうことと関係ある見たいだ。ゼンキョウトウとかいうらしい。兄が教えてくれた。
チロルチョコを食べながらずぅ~とそのTV観てたら「早く宿題やりなさい!」とお母さんに叱られたの覚えてる。チロルチョコは10円で安くて美味しいのだけれど、時々、中のヌガーが奥歯にくっついて中々取れなくなる。
夏休みのはじめにアポロ11号が月に着陸したり、最近の世の中はナンダカいろいろおこってる。自分ももう、「Oh〜モーレツ!」とか言って、お姉さんのスカートめくりとかやってる場合じゃないのかも知れない!
珍しく反省して5年生の2学期を自分はどーゆー遊びで過ごすべきか? 真剣に考えたりしていた。夏休みももう残り少ない。まったくニャロメ!てな感じだ。
そんな1969年の夏休みの午後、それは起こった。
「こんにちは、ギターを引き取りに来たのだけどお兄さんいますか?」
玄関に突然現れたのは、―(兄から教えてもらってた)― ビートルズのジョージ・ハリスンか!
と見まがう程の、すごく長い髪、すごくハンサムな長身のヒトだった。
何よりも驚いたのは、そのすそが広いジーンズ(ベルボトムね)に、見たことないゆったりした体を包み込むような服装。(インド綿のカフタンみたいな服ね)そのヒトの脇には、小川ローザのような真ん中分けの長い髪をして、その頭に何か巻いている、(チロリアンテープね)民族衣装みたいな(フォークロア・ファッションね)のを着た、これまたすんごい美人のお姉さんがいた!
「あ、兄はいませんが、ギターは、あ、ありマス…!」
と言って自分は、その異星人みたいな2人にギターを慌てふためいて渡す。「ありがとう、兄さんによろしくネ!」
ジョージ・ハリスンは、さっきまで自分が「フランシーヌ~」をつま弾いていたギターを肩に乗せ、反対の手で小川ローザと手をつなぎ、1969年の、愛と自由と平和の夏風に、おたがいの髪をなびかせながら、夏草繁る家の前の坂道の向こうへ颯爽と消えていった。自分はその2人の後姿が消えるまで、口をあんぐり開け茫然と見つめていた…。
このジョージ・ハリスンは、兄の高校の友人でMさんと言う人だった。ー(かなり後になっで兄から聞いたのだが)ー「バリフウ」で「キンシン」中だったので、我が家にギター取りに来られたのだ。Mさんは隣の小さな炭坑町の出身で頭が良く、この地域一のハンサムという噂のヒトだった。しかしその姿を見たことはなかった。今日初めて見た。噂は本当だった…。
そしてこの時、自分は生まれて初めてヒッピー・ファッションを目の当たりにした。こんな日本の、西の果ての田舎町で、こんな人たちに出会うとは…! あたかも真夏に舞い降りた宇宙人のようで、一発で衝撃を受け、自分の中の何かが確実に影響受けたのを、その時感じた。
…18年後、1987年。
佐世保出身の芥川賞小説家、村上龍氏が、自らの高校3年生の夏、学校をバリケード封鎖した— という実話を基にした自伝的痛快青春長編小説『69』を発表。
村上龍氏本人の投影と思われる、ひたすらリピドーに忠実に生きる高校3年生の主人公に、矢吹剣介。そのそばで何かと剣介をサポートする親友に、学校一のイケメンで歌手のアダモに似てるのが由来の、アダマこと、山田正が登場する。(2004年に妻夫木聡主演で映画化、ご存知の方も多いかと思う)
そのアダマさんの実在モデルが、あの1969年の夏の日のジョージ・ハリスン、Mさんだ。つまり自分は『69』のアダマさんのギターのお陰でギターに目覚めヒッピーと出会った。思い起こせば、これが最初の強烈なヒッピーカルチャー体験だった。(つづく)
image : BGM 「Aquarius」/ The Fifth Dimension (1969)
1969年7月第2週、The Beatles「ゲッド・バック」を押さえ、8月にS&G「ボクサー」に取って代わるまでの3週間第1位!(All Japan Pop 20)45年も経つのに、その誘惑的な旋律とコーラスに今でも心が躍る! 水瓶座(アクエリアス)の時代は物質と精神が統合される新意識の時代。まさに今始まっている!
本日のご訪問ありがとうございます。良いことがありますように!
planetary-n (火曜日, 25 11月 2014 12:50)
TARBOchinn
再度の書き込みありがとう。
あっと、そうだったね!松竹映画の『男はつらいよ』寅さんシリーズの、何作か目のオープニングに出てきたね!忘れてました。お地蔵さんの横で居眠りから目覚めるシーンから始まるのだったね。
(正確には、旧春明免、今は御橋〜橋川内ですが、知らない方には、ま、同じようなもんですね、あはは)
ということは当地は初めてではないね。思い出させてくれてありがとう!
自分はその作品を、東京立川のロードショーで観た記憶があるので、時代はもっと後年かと思われます。
ともあれ、わざわざのご指摘ありがとうござました。
TARBO (火曜日, 25 11月 2014 07:45)
はっきりした年の記憶は定かではないが、多分4.5年生の頃かな?かの有名な、男はつらいよ寅さんシリーズで、橋口の地蔵さんの前(県道からお橋観音の道へ降りて川を渡った橋のそば)で、オープニングシーンのロケがあったのを覚えてます。ずいぶん前にレンタルビデオを借りて観たけど、何作目だかは覚えてないなぁ。
ストレンジ・N (日曜日, 23 11月 2014 23:53)
やぁ〜やぁ〜TARBO-chinn!
書き込み、まことにありがとうございます!また、先日はメールありがとうございました!
母の命日が先週末だったので、その関係で、御存知の兄と姉がこの週末帰省してたのですよ。
あいまいな記憶を整理するために、当時の事柄を2、3、兄にメールで確認して、このブログが出来ました。お陰さまで、今だから知り得る事実も新たに判ったりしました。
この時の小川ローザは、ナント! 小説『69』に出て来る“レディ・ジェーン”! だったそうデス! もう45年も前の話なので、帰省した兄も、今となっては、さすがに懐かしがっていました。
おふくろさんの御見舞い中、市民病院から歴史的事件を見ていたわけですね〜。いやはやデス!
スカートまくって嫌がられなかったのは、それは、ひとえに、TARBO-chinnが人気者だったからでしょう。人徳ですね!あはは。
そういうTARBO-chinnでも、愛代ちゃんは無理でしたか…!だとしたら、誰も無理だったことでしょうね。往時の話を教えて頂きありがとう!
せめて今後は、悔いのない人生を送りたいものだね。またギター&コーラス、セッションして遊びましょう! この度はありがとうございます。
感謝します!元気でね!
追伸:
ご存知かもですが、NHKBS火野正平氏の『こころ旅』長崎編第一日目(11月18日)に、当地が出て来ました。お陰さまで先週から今日まで、その話題関係でのメールやりとりが多かったです。当地が全国放送に出るナンテ、歴史上初めて?ではないかと思います。そのきっかけを作って頂いた、投稿者の方に深く感謝!でありました!
TARBO (日曜日, 23 11月 2014 09:28)
その年お袋が胆石で、市民病院に入院していた。見舞いに行った病室の窓から、エンプラの大騒動を目前で見ていた。その時はなぜ戦ってるのか意味がわからなかった。
小川ローザの白いパンティーに憧れていた。スカートまくりをやったのは当然僕が最初だった。でも女の子から嫌がられた覚えがない?愛代ちゃんのスカートだけがまくれなかったのは悔いが残っている。