『アイ・アム・ヒッピー』

              2013年10月発行(森と出版) 2500円+税(左は函、附録画像は後掲)
   2013年10月発行(森と出版) 2500円+税(左は函、附録画像は後掲)


       『アイ・アム・ヒッピー』とは?

1960年代から70年代の中頃まで活動していた日本のヒッピー、その草分け的存在である山田塊也(やまだかいや)氏 (2010年没、享年73才)が、1990年に第三書館より刊行した本。日本ヒッピー文化の名著とされ、長く絶版で入集困難だったが、昨年、23年の時を経て増補改訂版として再出版された。その本のことデス。

 

自分は昨年秋、期せずしてこのことを知り、迷わず入手していた。もっと早く紹介したかったが今日になった。物事にはタイミングというものがあるようだ。

本書の副題は「日本のヒッピー・ムーブメント史’60-’90」。日本に於けるヒッピーの全歴史が、山田塊也(通称ポン)氏の自分史とリンクしつつ、年代順に、当事者らしい具体的な状況と出来事が、当時の熱気と共に紹介されている。

函ケース付き360頁に及ぶ大著だが、文章下段の脚注は、おおえまさのり氏らによる、詳細な解説が多数あり充実してる。また、巻末には、労作「日本ヒッピー年表」もあり資料的価値が高い。さらに特筆すべきことは、1967年に発行された日本ヒッピー初の新聞『部族』、その創刊号の一部がB3大2つ折りにて完全復刻で附録されてることだ。(後に画像紹介)

何がスゴイかというと、そのサイケデリックアート、バリバリのデザイン!ポン氏作成の図案は、2014年の今見てもクオリティが高く、強烈なインパクトだ! こんなに大胆で精緻なサイケデリックデザインは、発行された1967年以前、未だ横尾忠則も出て来ていないし、日本にはなかったと思われる。当時はさぞやと想像する。大判の赤と緑2色刷り20頁のこの新聞は、当時100円で販売、最初から1万部摺ったそうだ。しかしすぐ売り切れ、追加で5千部増冊したとある。「部族宣言」という、熱気溢れるマニュフェスト文も一見の価値がある。
                     

            広義のヒッピー

ご存知のように、ヒッピー(Hippie) とは、1950年代、米国のビート・ゼネレーション(ビートニク)の若者を意味する Hipster から、1967年頃、サイケデリック文化を介して登場して来た新しい世代の呼称だ。

それまでの伝統や価値観に縛られない自由な生き方を信条とし、自然回帰の生活を提唱した。これは、米国のべトナム戦争の泥沼化に対する反対運動に端を発している。愛と平和、そして反戦の象徴として花で身を飾ったためにフラワーチルドレンとも呼ばれる。コミューンという新しい共同体のライフスタイルで意識の進化を目指し、そのムーブメントは、文化、芸術、思想、様々なカウンターカルチャーを生みつつ世界中に広まった。

      
            日本のヒッピー

1960年頃、東京新宿駅中央口にあったとされるクラシック喫茶「風月堂」に、米国やヨーロッパからの旅行者がたむろし、アレン・ギンズバーグゲイリー・スナイダーや、ジャック・ケルアックらのビートニク運動の思想が伝わり、それらが日本のヒッピームーブメントの先駆けとなった。

やがて、その先駆者たちは「サマー・オブ・ラブ」の67年、拝金主義と物質文明の行く末を早くも予見し、スピリチュアルな旅とシンプルな生活を求め「部族」というコミューン運動を発足させる。東京都下、国分寺に「エメラルド色のそよ風族」長野県富士見町に「雷赤鴉族(かみなりあかがらすぞく)、南西諸島トカラ列島諏訪之瀬島に「がじゅまるの夢族」という拠点を築き、競争社会からドロップアウトした若者を全国から惹き付けた。68年には『部族』という新聞を発行し、国分寺に日本で初めてのロック喫茶『ほら貝』を創立してる。

時を同じくして海外からサイケデリックカルチャーの大旋風が押し寄せ、日本のヒッピー・ムーブメントの核となって爆発する。先駆者には、ナナオサカキナーガ(長沢哲夫)山尾三省ポン(山田塊也)等がいた。

諏訪之瀬島の「がじゅまるの夢族」(のちにバンヤン・アシュラマ)はヒッピー・ムーブメントの世界的ベストセラー『ホール・アース・カタログ』が大々的に紹介したことから、世界を放浪するヒッピーたちの聖地になる。

しかし、1972年の沖縄返還に前後して、自衛隊の軍事基地、エネルギー産業の石油基地、観光産業のリゾート基地が、琉球や南西諸島に進出し始め、諏訪之瀬島の聖地も、本土大資本の侵略としてヤマハ日本楽器のリゾート観光開発を受け、1973年、コミューンを解体した。

コミューンとしてのヒッピー・ムーブメントは、事実上このあたりで終焉を迎えるのだが ——— 。
 


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「・・・今さらヒッピーだなんて言われてもねぇ〜、まったく、ストレンジには参るよ(苦笑)。もう何処にもいないんじゃないの? ああいうヒトタチ、一体どうして急にヒッピーなわけ?」——

 

そういう声が聞こえて来そうだ。無理もないかと思う。この21世紀高度情報化社会、何処までも管理されてる今の時代に、20世紀のヒッピー・スピリッツはどうなの?イケてるのか?という疑問なのだと思う。

本のレビューは良く判った。日本ヒッピーの資料的価値がある貴重な一冊であることも判った。でも何故今、私ストレンジ・Nは「ヒッピー」なのか?—— んなもん知ったことか!という声が聞こえそうだが——(つづく)。

 

  ▼『アイ・アム・ヒッピー』内容紹介(クリックで拡大)

     image BGM 『Ballad of EasyRider』/ The Byrds (1969)

ヒッピー&カウンターカルチャーの素晴らしい音楽、山の様にあるのは、皆さんもご存知の通り。ここは敢えてこの曲で。予備校を抜け出して観た。有名なラストシーンに流れる美しい曲。今思ってもあそこは悲しい。『あの素晴らしい愛をもう一度』は、この曲からインスパイアされた。せつない永遠の名曲!

 

 

資料):ポン(山田塊也氏)さんの、

             1、ドキュメンタリー動画    2、BSTV番組

 

 

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