“惑星ハシグチ” とは?

Planet Hashiguch 

   惑星ハシグチ遠景                                        
   惑星ハシグチ遠景     

 

三次元的な、狭義の意味では、日本、九州の西果てのとある小さな谷間の町、そのまた町境の端っこの村のことデス。

 

標高3〜400mのなだらかな山々で城壁のようにまわりを囲まれ、町の中心からも離れていて、世間から閉ざされた感がある、この地域の総称です。私ストレンジ・Nが生まれ育った場所。永く離れていたのですが、運命の流れで最近戻って来まシタ。

 

自分が育った地域を再発見、再認識したいという意味で、『惑星ハシグチ』という名称を私が勝手に命名しました。幼年期から見慣れた風景にも、新しい名を与えると、別の色合いを見せてくれる気がします。いわば“架空の村”です。その感覚を楽しんでいます。そしてそこから発見、感じ取ったものを、ここで記述して行けたらと思ってマス。あっと、妄想も多分にありマス。

 

もちろん、ご存知の方はお判りのように、敬愛する水と火の映像詩人アンドレイ・タルコフスキーによって見事に映像化された、ロシアのSF作家スタニスラフ・レムの原作『惑星ソラリス』('72) 。これは心理学者ケルビンの、内的心象風景が外部に投影されるという印象的なラストシーンで終わるのですが、(YouTubeにありマスガ、通して観ないとそこだけ観ても意味は判らないデス)その内的宇宙観からも影響されていマス

 

『観察されるモノは観察者と不可分である』、というのは素粒子物理学である「量子力学」の有名な解釈(コペンハーゲン解釈/1927年)で、80年以上その解釈を巡って決着がついていないようです。『我々の身の回りにある、目に見える物理的宇宙は、実は、人間の意識が形作っている』という考えがあるのですが、これと非常に良く似た考えが、仏教の「唯識」やヒンドゥー教の「ヴェーダーンダ」にもあります

 

そういう意味では映画『惑星ソラリス』はまったくの荒唐無稽な話ではないのデハ?と個人的には思います。私が「惑星ハシグチ」を観察するとき、私は「惑星ハシグチそのもの」、なのかも知れません。 

 

高次元的には、かの『イーハトーブ』の遥か西、タルホイナガキ翁の『薄板界』やJ・G・バラードの『ヴァーミリオンサンズ』、あるいは萩原朔太郎の『猫町』と交差する中継ステーションであり、そして、アナタがフト脇見した時見えた、あの街の向こう側と繋がっている、はずデス。

 

    “Think globally Act locally” を超えて

 

“Think globally Act locally”とは、直訳すると「世界的視野で考えて、身近な地域で活動する」という意味になります。'60~'70年以降の米国市民運動で誰ということもなくアピールされて来たらしいですが(多説あり)私はこの言葉をビート・ジェネレーションの詩人、ゲーリー・スナイダーと、日本のヒッピーの源流、故、山尾三省の対談本『聖なる地球の集いかな』(山と渓谷社)等で知りました。

 

さて、誤解を恐れず提案しますと、今の時代はGloballyからUniversally だと思います。つまり、宇宙的な視野から身近な地域で活動する、ということ。この場合の宇宙が、還元主義世界観の中の宇宙ではなく、内宇宙と外宇宙がリンクし合うという、万物照応的、オルタナティヴ(もうひとつの)な宇宙観が必要です。かようなイメージを惑星ハシグチで生きる上でも持ち続けたいと思ってます。たとえ誰も賛同者が居なくてもデス。