2014 夏旅回想4~聖地巡礼2 高野山へ

 山道に忽然と姿を現す結界としての「大門」。高野山入口にて。
 山道に忽然と姿を現す結界としての「大門」。高野山入口にて。


            高野山へ


8月28日(木)未明には古都に雨の音が聞こえていたが、早朝には止んだ。今日はMさんの車で高野山へ行く予定だ。当初の予定ではMさんと2人で行くはずだったのだが、Mさんのお友達Tさんも「行きたい!」ということになり、3人で行くことになった。

とはいってもTさんは、実は難病でお年も召されていてお体が少し御不自由。自力歩行出来られるが、戸外だと常に誰かの補助が必要だ。長年ご縁あってボランティアされてるMさんが、介護経験ある自分との2人のサポートがあれば、なんとか外出可能だろうと判断。そういうわけでTさんのご体調に会わせた高野山巡礼となった。

個人情報は保護したいので詳細はパスするが、難病なのにTさんは、なぜか人気者の爺さんで、お家に来るヘルパーのオバサン(いかにも関西のオバサンという感じ)を始めいろんな人に愛されてる。ひとえに人徳なのだろう。どこか達観されていて寛大なのだ。なので自分もTさんのお世話を出来るのは嬉しい。


Mさんの車に3人乗り込み、天理市から京奈和自動車道を南下し高野山をめざす。途中、西側には、「役の行者(えんのぎょうじゃ)」が修行したとされる山々、葛城山金剛山の連なりが見えて来る。数年前、伊豆大島で訪ねた役の行者ゆかりの「行者窟」を思い出す。奈良はその「役の行者」の生誕地でもあるのだ。南北に豊に広がるその裾野を見ながら、「役の行者」繋がりの妙をぼんやりと思う。

ところで、そもそも高野山が日本の何処にあるのか? 関西近畿文化圏以外の人は、ご縁がない限りあまり知らないかと思う。かくいう自分もかなりおぼろげだった。

 

高野山とは、奈良県の南に隣接する和歌山県の北部、伊都郡高野山町の1000m級の山々に囲まれた地域の総称だ。その蓮の花の形をした高山台地に、弘法大師空海が、平安時代の弘仁10年(819年)頃、唐で学んだ真言密教の修禅の場として、天空の一大宗教都市を開いたのだ。2004年世界遺産にもなり、比叡山と並ぶ日本仏教を代表する聖地となっている。

自分たちは、その高野山の麓にある和歌山県橋本市まで来て、地元の農業生産者市場「ファーマーズ・マーケットやっちょん広場」でひとやすみ。生まれて初めての和歌山県上陸だ。感謝!

九州北部の生産者市場は、福岡、佐賀、長崎、それぞれ行ったことはあるが、和歌山県北部のそういう場所に行くのはもちろん初めて。こちらの生産市場は、地域が力を入れてるのか、梨や葡萄、桃、無花果等のフルーツが大変充実していた。

 

ここでは、高野山の駐車場で食べる予定の地元野菜たっぷりのお弁当と、Mさんに教えて頂いた奈良県と和歌山県で有名な郷土料理、「柿の葉寿司」というのを買った。

 


            

           天空聖地への道


車は、橋本市から高野町の隣町、九度山町に入り、ここから海抜900mくらいまで山道を登って行く予定だ。低地は地元の集落やドライブイン等があったりしたが、すぐそれらも一切なくなり、気付くとあたりは杉や雑木林の間の曲がりくねった道。それを、ひたすら、ひたすら、上へ上へと登って行く。

普通、観光地等のいわゆる「七曲がり」とか「◯◯坂」とか呼ばれる蛇行した坂道も、せいぜい長くて20~30分位で終わるものだが、ここ高野山への道は、それがどこまでも延々と続く。山間を走って行くので、眺望が良いわけでもなく、途中には、この夏の大雨で崖崩れし片側通行の場所も数カ所あった。

…もうどのくらい登っただろうか? この途中の道の気配を見る限り、この先に一大天空仏教聖地があるなんて、もう〜まったく思えない! 一時間以上も延々と続く山道を左右に揺れながら、「道、間違ってるのデハ?」とさえ思ったりもする。しかし時たまある道案内が間違ってはいないことを示す。

そのうち、あたりに聞こえる鳥の鳴き声が、谷間にこだまする感じになる。気温も少し涼しく、空気も澄んで来た気配、かなり高い場所に来たことが判り始める。

 

そんな折り、進行左手にいきなりその朱色の大きな門は現れる。高野山の入り口に立つ、高野山の総門、「大門」だ。でか! 「ここから高野山の霊域!」という結界なのだろう。大門を抜けると、それまでの人気のない山道が嘘のように、緑の中の静かな門前町が現れる。

高野山の入り口の駐車場にて、先程の産直市場で買ったお弁当と柿の葉寿司で昼食。どちらも美味。特に柿の葉寿司は、お酢もしっかり効いていて美味だった。

 

 


          「一度参詣高野山
           無始罪障道中滅」

 


「一度参詣高野山無始罪障道中滅」これは、「一度高野山へ御参りすれば、生前からの罪が消滅する」という、中世の高野山参りのいわばキャッチコピーだ。寺院の数だけでも117もある高野山。全体をじっくり参拝するには、50以上あるという宿坊に泊る体験をし、時間を掛けてやる必要があるだろう。今回はTさんを中心に行程を再検討し、高野山でハズせない聖地中の聖地 1、「壇上伽藍」2、「真言宗総本山金剛峯寺」そして、3、「奥の院 」を参拝することにした。

   
                 高野山巡礼1

                  壇上伽藍


「壇上伽藍(だんじょうがらん)」とは、空海が高野山を開創する際、「高野山上に曼荼羅世界を」と構想し、最初に着手した諸堂地域のことである。高野山の中心部にあり、その代表的建築物に、朱色が美しい「根本大堂(こんぽんだいとう)」、重要行事が行われる総本堂の「金堂(こんどう)」、そして「不動堂」等がある。

最初にお断りしたいが、高野山の写真画像はあまり多くない。

理由は、

1、殆どの重要な場所は全面的に撮影禁止。または外は撮影可  だが内部撮影禁止だから。
     
2、Tさんのサポートにて、あちこち撮影とまではいかなかっ  たから。


 参拝の服装もあまりにラフな恰好は×である。そのあたりは事前に調べていたので押えていた。せっかく行くのだったらその辺はちゃんと守りたいところだ。

 

ブログ的には、画像が少なくて申し訳ないのだが、ブログ等より、可能であればアナタが実際にこの場所に出向き、五感、あるいは第六感も含めて経験するのが、いちばん良いかと思う。ご了承願いマス。

   
            金堂参拝


駐車場から、Tさんを、Mさんと自分とで両脇からささえながらゆっくりと歩き、金堂を参拝。自分は四国遍路でやった参拝にならい、納札(お札)を持参し収め、お線香とろうそくも持参したのでこれも上げた。TさんやMさんにも、お線香、ろうそくを渡しそれぞれ上げてもらった。 

靴を脱ぎ、お堂の内部にて参拝する時、参拝前に、自分のこれまでの人生では見たことない山吹色の粉状になったお香が置いてあり、「これを両手に擦り込んで参拝するように」と勧めてあった。勧められるままその粒子の細かい粉を両手に擦り込むと、これまた今までの人生では経験したことのない香りがした。何というか、まるで脳幹の松果体を直接刺激するような、電気的ともいうべき痺れるような、メリハリ感ある高貴な感じの良い香りだった。

一体あれは何というお香なのだろう? 香りというより、むしろ香辛料に似てなくもない感じだった。体中の邪気が吹っ飛ぶような浄化作用がありそう。山吹色だったと思うが、もちろんターメリックではない。自分は一遍で魅了されてしまッタ! 危険ドラッグではないと思うがハマリそうだった(笑)。

 

次元を越えた香りがあるとすれば、そういうものに近いと思った。ああ~あの香りをもう一度体験したい! 初めて高野山に行って、最初の強烈な印象はこのお香だった。謎のお香はその後の重要な参拝場所、全てに配置されていた。

 


※ 謎のお香・・・後日判明したのだが、それは「塗香」(ずこう)と呼ばれるお香だった。自分の直感の通り、身体を清め邪気を寄せ付けないもののよう。また、ターメリック(うこん)も実際入ってるようで、口に入れても良いらしい。入手も可能なようで嬉しい。



           根本大塔参拝


「根本大塔」は、金堂のお隣にある。こちらも、TさんをMさんと一緒にささえながら行く。「根本大塔」は、全体が鮮やかな朱色の高さ48mもある大きな2重の塔で、真言密教の根本道場。高野山の中心の象徴的な塔だ。階段を上がり靴を脱ぐ時など、Mさんも自分も、Tさんの体を一瞬離す時があり、その間に、Tさんが身体のバランスを崩すことが多い。「わぁ~ごめん!Tさん」とか言いながら参拝する。

この内部は、中央に大日如来(胎蔵界)、その廻りの4隅に金剛界の4仏、それを囲む16本の大柱には菩薩像が配置されていて、有名な立体曼荼羅になっており、朱色を中心とした眩いばかりの迫力ある光景である。ここは大日如来の浄土であり、御参りすると仏と結縁できると信仰されてるそう。

 

この有名な内部も残念ながら撮影禁止。前の金堂と同じくここも、例の特別なお香を両手に擦り込みその香りにハイになりながら参拝した。中国か韓国の団体も来ていて、内部の詳しいガイド説明が聞こえていた。


                                           高野山巡礼2

                              真言宗総本山金剛峯寺参拝


駐車場に戻り、ひとやすみ後、車を数分移動し、金剛峯寺(こんごうぶじ)前の駐車場へ。ゆるやかな石の階段の参道を登ると境内に入る。建物の右端から靴を脱いで入り、広いお寺のこれまた広い縁側から、開け放してある各広間をゆっくり内拝しながら進む。その各部屋の襖絵の中には狩野派の絵もあり素晴らしい。

 

主殿の先、奥殿の前には、日本最大の石庭「蟠龍庭(ばんりゅうてい)」があり、白玉砂利の雲海の中に雌雄の龍が、石で配置されていた。ここは外の風景なので良いとし、画像に収めた。(後掲)


                   高野山巡礼3

                                             奥の院参拝


奥の院前の駐車場、向かい側から始まる参道には、沢山の石灯籠が参道の両側に並び、既にその場所が、此岸から彼岸の境上にあることを自分でも直感する。ここから奥の院が2km続き、最奥の弘法太師御廟(ごびょう)へと繋がっている。

奥の院とは、壇上伽藍とともに高野山2大霊場のひとつで、参道の両側には、約20万基を越える、各時代のあらゆる人々、日本の歴史を作った著名な人々の供養塔があり、歴史の縮図のように並んでいる。入口付近のそれは、近代の企業の供養塔も多く、どんどん奥に行くに従って歴史を遡り、各時代の著名人や戦国の武将や、法然、親鸞の供養塔もある。もぉ~皆んなまとめて面倒見てるって感じだ。

一体どうしてこんなに此処に数多の墓碑が集まったのか? 皆、空海が好きなのかな? それもあると思うが、以下は旅から戻って来て知ったのだが、「釈迦入滅後、56億7000万年後に復活する」と予言されてる弥勒菩薩の降臨地が、ここ高野山であると信じられていたからだそうだ。弥勒菩薩復活の話は知っていたが、その場所が高野山だとは!わぁ~おう!知らなかった !!! 

その時は判らず、後になって「ああ~、あれはそういうことだったのか!」と気付くことは多い。今回の旅もそういうのばかりだった。

 


( ※1)御廟(ごびょう)橋の前にある御供所の休憩所でMさんが「Tさんと休んでるから、心おきなく見ておいで」と、有り難いお言葉を頂き、奥の院のそのまた最奥、御廟橋の向こう側へと自分は向かう。「とうとう、ここまで来てしまった。空海はもうそこにいる…」言葉にならない感慨が湧いて来る。

 

この橋から向こうは、弘法大師空海の最霊域で、写真撮影禁止、携帯電話禁止、飲食禁止、喫煙禁止、お喋り禁止、渡る時は、服を正し、礼拝し、気持を整えて行くことを求められる。まさに聖地中の聖地だ。この禁止具合が心地良い。

その通りにして進むと、歩くに連れ、この世的でない気配がどんどん漂って来る。それは、弘法大師空海の御廟前に建つ燈籠堂あたりから、はっきり感じられた。

 

ここはもう、まさに冥界そのものだった。この燈籠堂も、写真撮影禁止なので上手く説明出来ないが、ガイドブック等に載ってるここの写真は、たいてい天井に幾多の灯籠の明かりが見えてるのが載せてある。

しかし実際は広い空間に蝋燭を中心としたあかりが過不足なく配置されていて、そのセンスは参拝者の心を鎮めるよう大変に良く考えられてる。幾多の灯籠は確かにあるのだか、紹介されてる写真程には内部空間は明るくない。参拝者はその仄暗い空間におのずと冥界を観ることと思う。あるいは生まれる前の母親の子宮か? 

この裏手にある御廟に、今でも弘法大師空海は生き続けてるとされてるわけなので、その弘法大師空海の懐に見守られてるという、目に見えないが安心感と慈悲の気配が漂う。これまでの人生では経験したことのない空間だった。心静かに合掌参拝。

先祖供養の護摩木を依頼出来る場所があり、自分の家の先祖供養の為に護摩木に必要な記載をし、担当の僧侶に依頼した。心良く受け取って頂く。明日だったか数日後だったか忘れたが、「来る◯日の護摩焚きに必ず致します」と言って頂く。これも出来て良かった。もう暫くその場に佇みたかったが、この場所にはもう一度必ず来る確信もあった。

最後に建物の裏手に廻り、弘法大師空海の御廟前に行き参拝、ここまで来れた感謝と御礼の気持ちを伝え、TさんとMさんが待つ休憩所へと足早に戻った。TさんとMさんの配慮のお陰、その他、見えない配慮のお陰で、この日本を代表する聖地に来れた。ひたすら感謝である。ありがとうございます!

 

(※1)御廟(ごびょう)とは、廟を敬っていう語。みたまや(御霊屋)= 先祖の霊や貴人の霊をまつる殿堂廟(びょう、みたまや、おたまや、ほこら)とは、死者の霊を祀る所。もと祖先の霊を祀る所。現在は故人一般を祀るところに使う。別名、霊廟(れいびょう)。墓のことも廟と呼ばれることもある。

 

 

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