2014 夏旅回想3~聖地巡礼1 奈良大和へ

  桜井市三輪の「大神神社」は巨大な鳥居が待ち受けていた。
  桜井市三輪の「大神神社」は巨大な鳥居が待ち受けていた。


        大神神社・石上神宮 参拝


8月27日(水)   奈良県天理市のTさん宅は、JR天理駅からそう遠くない場所にある。家のまわりには田圃もあり静かで長閑だ。天気は久し振りに晴れて気持ち良い。昨晩は自分を駅まで迎えに来て頂いたTさんの長年の友人Mさんとともに、2年振りの再会を祝した。

今日午後は、Mさんが、車で「好きな場所案内するよ~」と嬉しいお誘い。ありがとうございます。自分はここからほど遠くない、大神神社・石上神宮参拝を希望。夏の終わりの「まぼろばの里」へ出掛けた。

Tさん宅から車で南下すると、進行左手に、万葉の時代から変わらない景色なのだろう『古事記』にも出て来る「山の辺の道」が見えて来る。日本最古の道と言われてる由緒ある道だ。

 

それとほぼ平行に進んで行くと、ほどなく東側に穏やかな美しい円錐形の山が車窓越しに見えて来た。「あれが、三輪山だね」それほど高い山でもないのだが、稜線がなだらかで美しい山姿だ。

もう少し行くと、道路沿いに巨大な鳥居が見えて来る。大神神社の大鳥居だ。遠目に見ても巨大!近づいて来てますますその半端でない大きさに驚く。伊勢神宮や明治神宮、あるいは霧島神宮や宗像大社等、そこそこ大きな鳥居をこれまで見て来たが、こんな大きな鳥居は見た事ない。

大鳥居を抜け参道側の駐車場へ。「Mさん、ご案内して頂きすみませんね」「いや、こういうお誘いがないと、自分も中々行かないので良い機会だよ。こちらこそありがとう」と、屈託ない。気分は上々だ。


          大神神社参拝


大神神社(おおみわじんじゃ)は、広々とした奈良盆地の南東側のゆるやかな山里沿い、JR桜井駅の近く、「三輪そうめん」で有名な地に在る。

 

恥ずかしながらその読み方さえよく知らなかったのだが、(Tさんに教えて頂いた)少しでも調べたことのある人ならお判りかと思う、大和朝廷以前、天孫降臨以前、つまり、この日本と言う国が出来る前、気の遠くなるような遥かな昔から存在する、日本最古の神社である。『古事記』や『日本書記』にも登場する。日本を代表する神社のひとつ。かなり有名。

ご存知の方も多いと思うが、大神神社の他に例を見ないさらなる特徴は、本殿がなく拝殿の後方に儲けられた3つの鳥居を通して、日本の聖地中の聖地と言われる神奈備山(かんなび山)、三輪山(みわやま)を直接ご神体としてることだ。

 

三輪山はその山頂に奥津磐座(おきついわくら)という不思議な石群を擁し、山全体が神山とされ、木草一本たりとも持ち出せないという、日本を代表する聖地である。


神奈備山とは、リンクを読んで頂けたらお判りの通り、森や山等、自然環境そのものに神が宿るという、古神道から派生した自然崇拝の考えである。精霊が宿る自然環境に感謝と畏敬、あるいは畏怖の念を持ち大事にするという考えは、個人的には大変好きなのでとても興味深い。

神奈備(かんなび)、神籬(ひもろぎ)、磐座(いわくら)、とかいう言葉を聞くと、自分の中のDNAの何かが嬉しがっているような気配だ。遠い音楽が聞こえて来そうな、懐かしい感じがする。何なのだろう?と思う。

自分はそれほど神社には詳しくはないのだが、美しい円錐形をしてる三輪山は、時折読む雑誌『ムー』でも、日本を代表するピラミッド山として有名である。

夏の終わりの恵まれた天候の中、緑陰の参道をMさんとゆっくり歩く。九州佐世保から約700km、今日、晴れてこの地に来れて、今、この参道をMさんと共に自分の足で歩いてる不思議を思う。幸せ感がぐんぐん湧き出て来る。ここまで来れたのには、様々な見えない配慮があってこそだと思う。ひたすら感謝! そういう気持をそのまま参拝とした。

平日の午後だが参拝者もそこそこいる。湿気のない気持ち良い天気のせいか、参道から境内に入る感じは穏やかで寛大だ。なんとなく間口が広い感じで、いかような人でもひとまず受け入れる、といったような場所の気配を自分は感じた。

自分が言うのも何なのだが、神社はそれぞれ気配が違う感じかする。ここ大神神社は、その鳥居の尋常でない大きさからして、相当なんか色々スゴい気配のある神社なのだろうと、畏れ多い感じを持っていたのだが、その予想に反して、寛大で穏やかな境内と行った感じだった。

 

社務所で大神神社が発行してる『山辺の道ガイドブック』小本とおみくじを購入。おみくじは大吉、「無事こそが幸せであることを自覚すべし」と、あり。感謝!

その時は、なぁ~んにも気付かないで、後から「そうだったのか!そういう場所だったのか!」と思うことは自分には良くある。大神神社、三輪山も、そしてこの後に参拝した石上神宮もそうだった。そのことは、この夏旅回想シリーズの最後にでも記述出来たらと思ってる。

 

 

     
          石上神宮参拝


大神神社から、来た道を逆方向に引き返し、JR天理駅の東側の里山にある、石上神宮(いそのかみじんぐう)へと向かう。あたりの風景は、さすが大和路、古都奈良を思わせる。風景が非常に落ち着いていて穏やかな印象だ。自分が住む九州の里山のそれと、一体何がどう違うのか?自分なりに考えて見る。そのことも後述したい。

石上神社は大神神社とは違って、森閑とした森の入り口にある。その森から山の辺の道は始まるのだが、森は神社の聖域となっていて、本殿の後方には今でも禁足地(聖域・聖地)があり、何処か峻厳な感じかする。

 

「ちゃらちゃらしたヤツが来る場所ではない」見たいな気配なのだが、ここに到る道沿いには天理教の聖地も在り、来るまでにしぜんと気持ちが整い、気が引き締まる感じがする。神社が来る人を選ぶような感じがした。

 

境内には「ワタカ」という珍しい魚が棲むという、神秘的な池がある。そのまわりには烏骨鶏等の鶏がたくさん自生していて、訪れた参拝客を和ませる。夜は境内の樹木の梢で休むようだ。

奥の本殿に入ると、静けさの中に凛とした気配がある。この地に来れた感謝の気持ちで参拝する。おみくじを引く。大吉。「思うまゝなる運なり、身を慎み、何事も心静かに他人とよくよく相談してことをなすべし。心のままなるべし。」他人には殆ど相談しないので、そのあたり心しなくてはと思う。感謝!
   

      (▲クリックで拡大、スライドショー)

      
            

          まほろばの里


「まほろば」とは、「素晴らしい場所」「住みやすい場所」という意味の古語だそうだ。(ウィキペディアより)日本で古都奈良にしか使用しない言葉ではないか?と思う。言葉の意味に違わずこのあたりは、何といったら良いのか、場の気配が素晴らしい。

車窓からあたりを見渡すと、植物の生態系が少し違う感じがする。九州北部里山の耕作放棄地には普通に見られるカンネカズラ(葛)が、この地は殆ど見あたらない。そもそも休耕地がない。荒れ地がない。カンネカズラ以外にも、雑草が生えそうな空き地はあるのだが、そう目立つ雑草がない。

ゴミの不法投棄とかがない。放置された土木廃材等、産業破棄物がない。イノシシは来てないようだ。閉店し放置されたままの廃店舗等がない。田圃、畑共に全体に手入れが行き届いている。そして、派手な広告看板等がない。高層マンションとかもない。代わりに歴史ある神社仏閣がそこここにある。

ここは天理教の聖地でもあるせいか、実に街がきれいで落ち着いている。駅前の広いロータリーや通りにもゴミひとつ見あたらない。住んでる人の意識が高く、 土地が持つ磁場が高い感じがする。シェルドレイクの形態形成場理論ではないが、大和の歴史が作った風土というものをそこに感じた。

 

友人のTさんもMさんも、天理教とは特に関係ないのだが、めちゃくちゃ良い人たち。そういう人たちしか住めない土地、なのかも? 知れない。

 

 

 

本日のご訪問ありがとうございます。良い事がありますように!

 

 

 

 

      前へ             次へ

 

 

 

 

 

 

 

コメント: 0