プラットホーム幻想
8月26日(火)午前5時 福岡市博多区、JR南福岡駅のホームで、自分は始発から2番目の小倉行きの電車を待っていた。
向こうの車両区の方から虫の音が聞こえる。もう秋の気配だ。空を見上げると、昨晩までの雨雲が澄んだ夜空を流れていく。頬を撫でる風がひんやりとして心地良い。旅に出るには最適の朝だ。
未だ夜が明けきれないホームには、自分以外には年輩のオジサンが一人いるだけだ。その紳士然とした人は、ホームの端の方で電車を待っている。もう40年間近くも毎朝そうやってます的、律儀な気配が漂う。
「あの人は(※1)ジャマイカ氏?かもしれない…」
人気のない未明の駅のプラットホームは、この世界と別の世界とが交差するもうひとつの中継ステーションのようでもあり、自分はそういう幻想を楽しんでいた。
モノクロームの世界の中に佇み、ホームの屋根と線路が造形する遠近法の彼方を見てると、時刻表にない列車が闇の彼方から逆光の中を、静かにこのホームに入って来そうな感じがする。
「…ガタン、ゴトン、プシュー…」
「ただいま4番線ホームに入って来ましたのは、特別急行カノープス号です。3両編成で南十字星経由、終点大マゼラン星雲まで行きます。牛飼い座アークトゥールス方面に行かれる方は、次の南の魚座で御乗り変えです。なお、この列車は全座席指定です。ご乗車の方は、お手持ちの遊星間特別切符をご用意の上御乗車下さい」
放課後の下校を促す校内放送のような少年の声で、そのアナウンスは聞こえた。
「ああ…、これは…!」子供の頃、親戚のお爺さんから聞いたことがある。一年に一度、その夏の最後の夜に、何処からともなくやって来る列車があるという…。姿を見たという話はないのだが、夜更けの汽笛の音は、たくさんの人が聞いたらしい。「あの幻の列車ではナイカ!ずっと嘘だと思っていたけど、本当にあったんだ!」
胸の高鳴りを感じつつ、ふとシャツの胸ポケットを探ると、触ったこともない滑らかなものがあった。それは、りんどうの青い花びらのような小さな札なのだが、精緻な多角形が美しいホログラムで刻印されている。そしてそのまわりには、日本の古代文字のような不思議な象形がびっしりと描かれ虹色に明滅していた。
「磁気嵐があって少し到着が遅れてしまった。まったくやれやれだ…。おおう、これは、無期限の全遊星間自由切符ですな。さあさ、どうぞ、良い旅を!」いつの間にか目の前に現れた静かな老車掌は、そう呟いて、その札を手元でスキャンし、自分を車内に促した…。
★ ★ ★
「…まもなく4番線に普通電車小倉行きが9両編成で参ります。白線の内側まで下がってお待ち下さい」
いつもの駅のアナウンスが聞こえ、意識を「ここ」に戻した。自分は小倉行きの電車に乗り込んだ。未だガランとした車内で、空が明るくなって行く様を見ながら、自分は昨晩の事を思い出していた。
参拝前夜祭 in 博多
昨日は、博多区に隣接する春日市の友人S君宅に御邪魔させて頂いた。今日、早朝この電車に乗るためだ。博多をこの時間に出発しないと、その日のうちに奈良までは辿りつかない。青春18切符はいくつもの電車を乗り継いで行く。
春日市は、かつて自分が住んでいた街。少ないが友人が居る。T君とIさん。御2人ともご縁を頂いてから、もう10数年になる。昨日はT君宅で、Iさん、そしてT君の古い友人Sさんと4人で、自分が久し振り春日に来たということで、それぞれ多忙な中、ささやか夕食会を開いて頂いた。感謝!
この3人のことを記述すると、それだけでブログを数回に分けて書かなくてはならない。それぞれ少ない言葉では語りきれないディープな人たちなのだ。それはまたの機会にということで、今回は敢えて軽く触れるに留める。
4人のうち自分とT君、T君の友人S君の3人は同い年、Iさんが少し若い。 「ストレンジさん、この4人は、W・E・バトラーの『魔法入門』を知ってるのですよ!(そんな人たちが4人も集まるなんて)スゴいと思いません?」クロウリーやエリファス・レヴィ等、西洋隠秘学に造詣が深いIさんが、やや興奮気味に話す。
確かに、(※ 2) バトラーの『魔法入門』なんていう単語は、普通、サッカーのW杯や、この夏の天候不順や、新しいiPhoneがどうこう…という話題のようには語られることはないだろう。人によっては一生ご縁のない単語かもしれない。
「そうかも知れないね。4人も集まるなんて奇跡に近いかもね、あはは。奇跡の今宵に乾杯!」それほど飲めるタイプではない自分も、久し振りの再会に気分が和らぐ。
「Sさんの最近のマイブームは何なのですか? 」以前からT君よりその噂は聞いていだのが、今回会うのは初めて。初めてだけどその穏やかで落ち着きのある佇まいが、既に深い人であることを感じさせている。
「私はずう~と唯識ですね」とSさん。
「唯識…?」
自分が問うと、T君が「ストレンジ君、ほら、三島由紀夫の『豊饒の海』に出て来るヤツだよ」と、相変わらずの元気な声で教えてくれる。 「『豊饒の海』って、確か輪廻転生を扱う作品ではなかったっけ?」
(※ 3) 三島由紀夫 最後の作品で、それをテーマにした4部作の長編小説と、読んでもいないのに思い込んでいた自分がいる。仏教の「唯識」もテーマにしてるというのは知らなかった。
自分達の世代には、それほど馴染みのある作家ではないにも拘らず、そういうのをさらりと言ってのけるT君はさすがだ。同年代の友人であることを、自分は誇らしく嬉しく思う。
Sさんが語る仏教の唯識と自分が研究してるヌース宇宙論との共通点を、最初なのでお互いほんの少しだけど、シェア出来て何よりだった。(ここで何げに触れた三島由紀夫『豊穣の海』が、この後の旅でリンクして来るとは、旅を終え戻って来るまで判らなかった。)
宴はその後、九州を代表し全国ツアーもやっていた博多の’90年代伝説的某メタルバンド、そのリードギターだったIさんが、持参して来た2台のアコギでの、恐るべき早弾きとクラシックの名曲をご披露頂き、自分たちはただただ啞然とするばかり。
自分は高野山に行く予定なので、数日前から心身を参拝モードに整えて来たつもりたが、ヘタなくせに好きなギターが2台も眼前にあると、ウゥ〜ン我慢出来ず、迷惑を顧みずつい手に取り弾き散らかしてしまった。聖地巡礼前にこんなんで盛り上がっていいものか? いささか後悔した。 しかし意外にもウケた。
★ ★ ★
「…あれは、参拝の前夜祭で、いわば奉納の宴だったのだ」
昨日のことを思い出し、電車の窓外の風景がどんどん過ぎて行くのを眺めながら、自分は都合良いように思うことにした(笑)。
T君、Iさん、そしてSさん、ハジケちゃってごめんなさい。大変お世話になりました!また年末にでもお会いしましょう!
(※1)ジャマイカ氏 城昌幸という詩人・作家(1904-1976)が、昭和の初めに作った幻想掌編小説『ジャマイカ氏の実験』の主人公。副題が「或る人類空中飛行に就いての一考察」という。深夜、人気のない駅のプラットホームの端から空中飛行をし、向こう側のプラットホームへ行き再び戻って来るお茶目な謎の男の話。こんな不思議な作品が、昭和の初めに出来ていたというのが素晴らしい。自分はこういう変な作品が大好き。探せばアンソロジーで読める。
(※2)W・E・バトラー著 『魔法入門』 ’70年代、角川文庫で比較的安価で入手出来る本だった。あの頃の角川文庫は、エーリッヒ・フォン・デニケン等、大陸書房のように、ちょっと異色のラインナップを出していたのだ。今は絶版となり相当高い値段の単行本しか出回ってない 。
(※3)三島由紀夫 言わずと知れた戦後の日本を代表する重要な作家。'70年秋の市ヶ谷の自衛隊駐屯地での割腹自殺は、当時小学6年生だった自分でも衝撃的な事件だった。だが、自分たちより上の世代に於いて重要な人だったという印象があり、一部の作品以外は熱心な読者ではなかった。三島由紀夫の“憂国”とは一体何だったのか?
遅ればせながら今頃になって再検証が必要なのかも知れない。