NOOS LECTURE 2013 in Fukuoka vol.04 覚書
今年最初のヌースレクチャーに先日参加した。
(2014年だが、シリーズは 2013。)
休憩入れても4時間以上に及ぶ濃密な講義内容は、その難解さゆえ? 毎回、脳の理解容量をオーバーフロー。記憶に残った箇所だけでもメモしておくことにする。
「ヌースレクチャー」とは、半田広宣という人が冥王星の知的意識体『オコツト(OCOT)』なる存在と、1989年〜1995年の7年間、チャネリングにて対話し、その交信した記録「シリウス・ファイル」を、地球上の概念に解読し、一つの理論体系にまとめた宇宙思想である。
この説明で、早くも拒絶反応を持たれる方も中にはおられるかも知れない。しかし、このウェブ宇宙の辺境の地にある当遊星測候所をわざわざ訪問されるモノ数奇な御方は、もはや、それほど抵抗なくすんなり入って行かれる方しか(たぶん)来られてないと思う。なのでこのまま先に進む。
OCTO情報における〈我と汝〉
OCTO情報では、人間の世界に出現している自己(我)と他者(汝)という二元関係は、宇宙において最初に2つに別れた「根源的な対化」に由来しているという。
「対化」という概念は〈二なるもの〉のことだが、これは必然的に2×2という双数的関係を持つために、つねに四位一体性の形式を持っている。四位一体性とは、例えば陰陽の太極図でいえば、〈 陰の陰 陰の陽 陽の陰 陽の陽 〉という関係性だ。
この形象化が、古代ケルトや、ホピ族や、島津藩の紋章にある丸十字 ⊕ 。そして数学的にはオイラーの公式で表現される。
時間と空間
私たち人間は時間と空間の中で生きていると思っている。しかし、認識論において、これについて全く違う画期的な考えを主張した人がいる。ドイツ観念論哲学の祖 イマヌエル・カント(Immanuel Kant,1724 - 1804)である。
カントの有名な著作『純粋理性批判』の冒頭は、この、時間と空間の言説から始まる。
「時間と空間という観念は、人間の外に客観的あるのではなく、人間の感性にアプリオリ(無意識的、経験以前のもの、という意味)に備わった主観的な形式である」と主張する。
ざっくりいえば、人間は時間と空間の中で生きてるのではなく、人間が時間と空間を作り出している!という言説である。
どうだろう? 今の時代に主張されても、すごくラディカルな考えだ。こういう考えを18世紀に表明してる。こういう認識は哲学史上、カントが初めて。まさに認識のコペルニクス的転回である。大哲学者カントの凄さが伺える。
OCTO情報からのヌーソロジーでも、時間と空間をそのように考える。
そういう大哲学者カントも、時間と空間が何処から来たのかについては言及していない。まだ判らなかった時代なのだ。また物質については、物自体という概念を主張、物自体は、存在するにあたって、我々の主観に依存しない、としてる。
いっぽう物理学では、時間と空間の発生については、複素2次元空間というものを母体としている。しかし、これらは単なる数式上のこととして、実際には見当たらないといわれてる。
しかし、ヌーソロジーでは、実はここにあるとし、その構造の骨格まで提示してる。(レクチャーでは配布資料に図式にて提示されてる。)あえて言葉でいえば、奥行きとして認識してるのが虚の世界、巾として認識してるのが実の世界となる。
ヌースソロジーは、時間と空間がどうやって出て来るのか、そこまで入って行く。
幼心の完成
ひとつ前のブログで触れたように、自分は子どもの頃から宇宙の成り立ちや時間と空間とかについて空想したりするのが好きだった。曰く時空間を越えるというのは可能なのだろうか?時間はいつも一定なのだろうか?この宇宙の果てはどうなってる?別次元というのは本当にあるのだろうか?等々である。
そういう謎は今でも謎であり、それをなんとか、いつか自分なりに解明したい、そういう気持が無意識にあったせいなのか、自分は1990年代の初めにヌース宇宙論研究会(ヌーソロジーの前身)に出会い、現在に至ってる。
「偶然は必然」というのは、精神世界の基本概念のひとつだが、そういう意味ではヌース宇宙論に出会ったのは、偶然を装う必然だったのかも知れない。
ともあれ自分にとっては、裾野が広い大変魅力的な研究分野との出会いとなった。ヌース理論は確かに難解なところもあるのだが、このワカラナサが痛快でもある。なので、それと出会った自分は幸運だったと思っている。
子どもの頃、天文の世界の魅力を知り、おのずと宇宙について空想を拡げて来た。その後もこの世界のこと宇宙のことを知りたいと思い、SFから、天文考古学から、幻想文学から、神秘思想から、自分なりに探索して来た旅の流れでヌース理論と出会う。
出会ったそれは、自分たちが学校で習って来た宇宙観(還元主義的な物質主義宇宙観)を、ことごとく打ち砕く、全く違う宇宙観、全く違う世界認識だった。(その衝撃をどう表現したら良いものか…。)
だが、キリスト教以前の古代神秘主義の宇宙観とは相通じるものがあり、少しづつその姿を見せる構造は実に美しく、神聖幾何学とでもいうべきものである。それが浅学な自分でもぼんやり見えて来た。直感としてはビンビン来て腑に落ちるものがあるのだが、それを一般の言語にダウンロードするのは実に難しい。
難しいのだが、手を変え品を変えて、今後はこの宇宙論の魅力と凄さを、稚拙ながらもなんとか伝えていきたいと思う。
何故なら、それは既に始まってる地球を含む太陽系全体の大きなシフト(交替化)に、必ずや、役に立つ重要なナビゲートとなると思うからである。
ヌース宇宙論のみが、太陽系のシフトを唱えてるのではない。今やいろんな人が、それぞれの立場からアピールして来ている。それらのうちから自分がピンと来るものも、合わせて紹介して行くつもりである。
遊星測候所、そろそろ第2期に入りマス。
どうぞ、よろしくデス。