『80年後のKENJI』を観て。

復興の象徴としての宮沢賢治

東北の復興のシンボルとして、東北岩手県出身の国民的作家、宮沢賢治が、今、静かに注目されている。東北の豊かな自然と向き合い、本当の幸せの意味を問い続けた生涯だったせいだろうか。

 

作品『グスコーブドリの伝記』が、昨年アニメで映画化されたり、つい先日は、NHKBSで3週に渡って「80年後のkenji」と題された映像童話集が放映されたばかりだ。

 

この「80年後のkenji〜宮沢賢治21世紀童話集」、3週ともじっくり見た。日本が誇る21世紀のクリエイターの手によって、宮沢賢治の作品世界が、CG、実写、アニメーション等で新たに甦るという内容だ。

 

第1日(2月20日)は、「ちいさき命」がテーマ。CGアニメーションによる「シグナルとシグナレス」、CG実写合成の「注文の多い料理店」や、フォトストーリーでの「春と修羅」。

 

第2日(2月27日)は、「畏れる」がテーマ。手書きアニメーションによる「よだかの星」、実写による「黄いろのトマト」等、2日間とも、どれも非常に質の高いセンスの良い作品で感心した。

 

中でも、宮沢賢治が好んで登ったと言われる岩手山でのフォトストーリー構成の「春と修羅」や、大変な手間が想像される手書き実写の「よだかの星」には、そのせつない話に、寄る年波で涙腺が弱くなったか涙を禁じ得ない。

 

昨年初めて訪れた岩手県花巻市の宮沢賢治記念館では、その入口の門のすぐ左側、石彫の「よだかの星」のモニュメントが、訪れる人々を、最初に静かに迎えてくれたのを思い出す…。

 

この番組、見た方もおられるかと思うが、見逃した方も多いかと思う。オンデマンドや総合TVでの再放送を願うばかり。

 

最終日、第3日(3月6日)は、「生きる」がテーマ。名作「銀河鉄道の夜」(前編、後編)の日だった。1、2日目が良かったので、やはり期待していた。

 

結果的には、原作に忠実というより、東北の復興を示唆する作品にアレンジされていた。この企画の底辺には東北復興の意味もあったと思うので、それはそれで良かったのだろう。

 

     もうひとつの『銀河鉄道の夜』

 

自分はここで、もうひとつの『銀河鉄道の夜』を、ご紹介したい。

それは、近年日本全国のプラネタリウムで上映され、その評判が人から人へと伝わり、既に100万人が見たという、これまた静かなブームを呼んでいる作品だ。

 

宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」は、向こう側の世界(冥界)を記述した、日本幻想文学史の中でも希有な作品だ。そうであるが故に、これまで様々なアーティストが、この魅力的な作品の視覚化に挑戦して来た。

 

古くは影絵作家で有名な藤城清治氏が影絵劇や絵本で。松本零士氏が『銀河鉄道999』で。私共の世代だと、ますむらひろし氏が絵を担当し、あのYMOの細野晴臣氏が音楽を担当した、アニメ映画(1985年)が記憶に新しい。 

 

しかし、その幻想的な世界を、原作に忠実にビジュアル化するのは永年不可能と言われて来た。それが新世紀になり、CGデジタル処理技術の進歩もあって、原作を徹底考察し相当忠実に再現。誰も見たことがない映像世界での「銀河鉄道の夜」が出現した。

 

自分はこの作品のポスターを、実は数年前見かけていた。

母が未だ入院中の頃だ。その介護の間隙を縫って病院から抜け出し、市の図書館に本を借りに行くそのフロアーでだ。その年の夏、市のプラネタリウムで上映予定だったのだ。

 

その時は「何? CGでその世界を再現? けっ、無理だね〜、どうせお粗末な子供だましのCGなのだろう、まったく…」と、はなっから無視していた。

 

 

昨年、宮沢賢治の故郷を訪ねた後、旅ブログを書く時にネットでその作品のことを知った。探せば外国経由だが、YouTubeで観れることも知って観た。   

…自分の不覚さを思い知った。音楽も映像もこんなに美しい「銀河鉄道の夜」を自分はこれまで観たことがない。

 

全体の色調の美しさ、風、水の質感の表現、燐光のように青く硬質で透明感溢れる世界観。列車の土手にたなびくリンドウが、夜風に青く光り揺れる感じ。正に夢で見たような天上の世界のリアル感、音楽の美しさ。CGデジタル技術と作者の感性がマッチングした見事な作品だと思った。

 

これほど高度に映像化した「銀河鉄道の夜」を、プラネタリウムで観れる今の子供たちは、ひたすら幸せだと思う。いや、この時代を生きる今の子供たちには相応しいのかもしれない。ひとまずは、その予告編を御覧あれ。

 

 本日のご訪問まことにありがとうございます。良いことがありますように!

 

 

 

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