黄昏の大船渡港で思ったこと。
120901(土)晴れ 夕方、3.11東日本大震災の被災地のひとつ、岩手県大船渡市に自分は居た。宮沢賢治の故郷、内陸部の花巻市から東へ。遠野物語で有名な遠野市を通り三陸海岸へと車を走らせここに来た。
夜8時までには北上市のにレンタカー屋さんに返したいので、それを考えるとここでの滞在時間はあまりない。そんな短い時間で何をどうするの?、ボランティアもせず被災地から帰るワケ? 被災地の皆様にお叱りを受けるかもしれない。
もし、このブログを見ておられたら素直にごめんなさい。日程の関係で現場を見させて頂いただけでありました。現地でボランティアしたい気持は十分にあるのですが申し訳ありませんでした。
あの日…2011年3月11日の午後は、ここ東北の地からざっと2000km弱離れた日本の西果て、長崎県佐世保市郊外の田舎の実家に居た。そして事のなり行きをほぼ最初からTVで観ていた。
実家では未だ母が元気に生きていて、政治が好きな母は民放で東京都庁での石原知事の何かの会見を見ようとしていたらしい。「なんか…東京が大変なことになっとるよ!」、と母が自分を呼ぶ。臨時ニュースが入り既に会見は中断したらしい。
別の所に居た自分が見た最初の映像は、東京お台場方面、臨海地区の工場か何かの火災現場の中継だった。その暫く後には、東日本三陸海岸が赤く明滅する地図が画面に表示されてる向こうに、仙台空港がドス黒いコールタールのような波にゆっくり飲み込まれて行く様子が映し出された。関東地方の親類友人知人に即安否問うメールを出す。ネットをあちこち探り情報をチェックする…、それからは先は…ご存知の通り。
その後、現在まで何度となく被災地の映像をTVでネットで見て来たが、地震も何もなかった日本の西果ての当地からいくらそれらを見ても、悲しいくらいリアル感が自分にはなかった。このあたりはもともと地震が多い土地でなかったので、たいていの人が地震の揺れに免疫がなく想像力が足りない。玄海原発30k以内だというのに、このリアル感のなさは自分で問題だと思っていた。なのでこの機会に、被災地の方々に失礼とは思いつつ、せめて現場を見て見たいと思ってやって来た。
釜石から大船渡へ向かう道路沿いには、もう、壊れたままの建物があちこちに見られる。ここは既に被災地なのだ。
東北の夕暮れは早い。山が迫ってるとまた尚更だ。九州西果ての時間感覚からは一時間以上違う感じがする。西九州では夕日がいつまでも沈まない。「え、まだこんな時間なのに、もう~この黄昏感?」 、そういう時間帯のせいもあってか、仮設住宅は、それだけが緑地にぽつねんとあるので何だかもの寂しげに自分には映ってしまった。
この風景は、自分には何かショックだった。何かどうショックだったのかは、その時は判らなかった。帰って来て暫くしてから判り始めた。
「いつもの町」というのは…、特売の日は混み合うスーパーがあったり、5のつく日はセットが安い美容室があったり、ピーマン虫だらけの家庭菜園が住宅地にあったり、ブタ猫のタマがいる路地があったり、昨日と何がどう違うのか、今日も盆栽をいじる耳が遠い爺さんがいたり、愛犬メリーちゃんと散歩をするいつもの太り気味のキヨシ命のおばさんがいたり、コンビニの側で携帯片手に永遠に笑い続ける女子高生がいたりし、郵便局があったり、流行らない飲み屋さんや、外までうるさいカラオケ屋さんや、幼稚園や、今いち評判悪い歯医者さんやらで構成されていて、それらがあって初めて「いつもの町」なのだ。
日頃何げにある、ありふれた風景で別に何の感慨もない、どちらかと言えば正直どうでも良いようなそういうものが、実はかけがえのない有り難い風景なのだと思い知らされるのだった。
やがて、大船渡市の標識が見えて来る。地図で確かめると大船渡市は鋭い程のV字型に切れ込んた奥に奥に長い港町だ。その港の奥から港の出口方向に向かう。奥の奥から爪痕の地はあり、当然港の入り口まで続いていた。西日本程でないにせよ今年の夏は東北も暑かったのだろう。夏草があちこちに繁茂しそれらを少し覆い隠していた。
最後に大船渡小学校の校庭に私共は行った。広い校庭のある3階立ての建物だ。「一階は全部水か来たようですよ、ここは海から結構距離があるのにね~、裏側の山手の高い所に非難したようです」 裏側が小高い山に続いている。実際の校庭から見ると、やはり信じられない津波の規模だ。
お仕事NGOの被災地支援で、ここ大船渡にも早い時期から何回が入られた旅の同行者Iさんから当時のお話を伺う。実際にその場で支援した方でないと判らない貴重なお話も聞かせて頂いた。自分には身にあまる有り難さだった。Iさん、旅の同行、心から感謝致します!
短時間の滞在だった。じっくり見たとはおせじにも言えない。地元の方から顰蹙を買いかねないとも思う。そのくらい短かったのだったけれど、それでも被災地、自分は行かないよりは行って良かったと思う。現場に行かなければ、その規模の広範囲さが判らない。それから目にはみえないが、衝撃の残存エネルギー見たいなものを感じた。暗くなる前に大船渡小学校を後にした。
▼大船渡港1km以内の動画撮影です。北から湾内に向かって進んでいます。