横溢する反骨精神!
YouTubeデビューする友人たち(第ニ夜)は、美乱調さん。自分の福岡時代、初期からの永い友人だ。福岡生活が始まったのは1986年。その年の夏にはすでに美乱調さんと知り合っていたと思う。なので、ざっと、ゆうに25年の交遊になる。その中でも初期と後期にその交遊が濃いのも興味深い。こちらに戻ってもネットを通じて何かとお世話になっている。先日の母の葬式にも、もう一人の友人と共にわざわざ福岡から駆けつけて頂いた。心より感謝!である。
美乱調さんを語るのは難しい。一言では語れない多彩で強力な個性の持ち主だからである。しかし挑戦してみる。
美乱調さんは、’80年代後半、氏のホームタウンである福岡県久留米市で、伝説の未来派ロックカフェ、「マーキームーン(Cafe・Marquee Moon)」を主宰されていた。「マーキームーン」は、米国のニューウェーヴバンド、「テレヴィジョン」の同名アルバムに依る(と思う)。
’70年代後半からのパンク・ニューウェーブの潮流を受けて、'80年代は一言でいえば、バグルスの 「ラジオ・スターの悲劇(1981)」の歌詞に象徴されるように、MTV、ビデオ・クリップの時代だった。
それら映像文化を当時としては珍しく、いち早くカフェに導入していた。
カフェの本棚には、'60年代より揃えられた月刊漫画雑誌『ガロ』やオブジェマガジン『遊』が、ずらりと並び、『HEAVEN』、『月光』『迷宮』等というコアな雑誌もあった。また、ルドルフ・シュタイナーの『アカシャ年代記』を始めとする人智学等の精神世界関連書籍、さらには稲垣足穂の著作もさりげなくある。壁には、マルセル・デュシャンのポスターやシュタイナーの絵、現代美術のオブジェが飾られていた。それらが、鴨沢佑仁著『クシー君の発明』的、未来派のコンセプトでまとめてあり、まさに、'80年代の「キャバレー・ヴォルテール」的カフェだったのだ。
また美乱調さんは、フランク・ザッパ、そしてニール・ヤングの熱烈なファンで、特にフランク・ザッパが亡くなった時(1993年)には、地元久留米にてザッパ追悼コンサートを開催し、自ら追悼の小誌を作成される程の思い入れだ。
さらにはビートルズ、特にジョン・レノンとオノ・ヨーコを、人類文明史の観点から解読する研究家でもあり、無類の弦楽器コレクターでもある。ゼロ年代に入ると憲法9条を守る会でも活動、はたまた久留米の実力バンド、「ジャンガプップ・ジャグバンド」でも活動中である。
そして3.11以降は、全国で同時多発的に起きた脱原発サウンドデモの福岡デモに度々参加。ネットのミクシィー、ツイッター、フェイスブック、動画、あらゆるメディアを駆使し、脱原発を精力的に発信している。
自分は何かご縁があったのか、1986年、マーキームーンを初めて訪れた頃から、氏に良くして頂き、ゼロ年代には氏の仕事を手伝い、一緒に書籍を編集したこともある。近年は何度も氏宅にお邪魔し、音楽、芸術、カウンターカルチャーの話題はもとより、超古代文明から、放射能、太陽嵐、ドルメンから日ユ同祖論と、全存在を語り尽くす勢いで意見を交換したりしている。
その一方ではロックカフェ時代からの、その厖大かつ貴重な音楽データを、自分のPCに気前良くプレゼントとして頂いたり、音楽理論にも精通されてるので、理論が判ってない自分を見かねて、わざわざ、ギター、マンドリンの個人講座を開いて下さったり、全くお世話になりっぱなしである。
さて、今回の美乱調さんのYouTubeデビューは、学生時代からの音楽仲間とともに演奏されているそう。自分より数歳上の世代だ。軽くやってる感じだが、どなたも上手い。そこは肥沃な筑後川の側、美術では青木繁や坂本繁二郎、古賀春江を輩出し、音楽では中村八大、チェッカーズや松田聖子、或はシーナ&ザ・ロケッツのギタリスト鮎川誠を生んだ、芸どころ久留米の文化の厚さだと思う。
3.11は、あらゆる人の人生を変えた。美乱調さんの今の活動もそこに起因している。デビュー動画には真っ向から脱原発への毅然とした反骨精神が込められてると思う。権力とは無縁な場所で権力に屈しない氏の姿勢に、氏を知る友人たちは刺激を受けっぱなしである。