YouTubeデビューする友人達(第一夜)

甦るオリジナル曲

120115(日) この年末年始、自分の人生の、時代の違う友人たちが、期せずして相次いでYouTubeに音楽動画デビューした。一人は自分が13才位から〜18才位頃までの友人。もう一人は27才〜50代になった現在までの友人。 以前一度紹介した、19才〜20才位の頃の友人で、既にプロとして活躍してる友の新しい音楽動画とともに、色んな時代の自分の友人たちの音楽を紹介したい。

 

紹介の前にYouTubeについて少し。YouTubeは皆さんご存知のように、誰もが無料で動画をアップし、世界中に発信出来るサービス。2005年より米国カルフォルニアから発信され爆発的に広まっているようだ。内容も特に音楽だけとは限らず、講演、芝居、映画、作品紹介等、作り手の発想次第で相当多様なことを、誰でも、しかも無料で発信出来る。

 

これは、少し前、例えば80年代までの世界から観ると、全く夢のようなツールだと思う。その頃までの情報発信メディアは、書籍、雑誌、TV、ラジオ等、一部の人のもので、誰もが自由に発信出来る代物ではなかった。つまりメディアは一部の特権階級の所有物だったのだ。それもスポンサーが必須だった。

 

それから比べると、YouTubeの表現世界の広さは次元が違う。

それを観る人がいるかはひとまず別にして、誰でもスポンサーなしで相当自由に発言も表現も出来る。3.11以降、新聞やTVメディアの欺瞞が、誰もに判る形で明らかになった今、YouTubeも情報発信、表現手段の一つとして使わない手はないだろうと思う。PCもネットも、いつかは別のもの変わって行く束の間の道具だ。その効力があるうちにせいぜい利用したい。

 

             (第一夜)

 

最初に紹介する友人、ヘたジーニさんは、中学時代の同級生、自分と同じ歌仲間の一人だ。それぞれ他の運動クラブに所属しつつも、音楽が好きで、かつ音感の良い友人たちがたまたま6〜7人居た。日本の最果ての片田舎の中学校としては奇跡的な数字だ。彼等と一緒に、コーラス部にも同時に所属していたのだった。トランジスタラジオで音楽に目覚めた始めた頃で、どんな歌も新鮮。砂に沁み入る水のように吸収し、’70年代の邦楽洋楽を、覚えたてのギターをかき鳴らして片っ端から歌っていた。

 

中学3年生の或る日の放課後、校舎の端にある音楽室を、その友人たちと占領して、ゲリラライブコンサートを開いたこともあった。今でこそ学校でコンサートは珍しくないが、学校にフォークギターを持って来る自体、ど田舎の中学校としては前代未聞! 革命的な出来事だ!今風に言えば、スタジオライブ的なコンサートなど、画期的な出来事だったのだと思う。(その2時間にも及ぶライブテープ音源を自分は未だに所持している!)

 

ヘたジーニさんは、当時の音楽好きの友人達の中でも、その歌のうまさに置いては誰もが認めるNo.1の実力者だった。今回の動画は、その仲間たちと高校時代に歌っていた楽曲だ。

 

時代は、’72〜'74年頃、邦楽は’70年代フォーク隆盛期で、個人的好みはさておき、吉田拓郎、井上陽水、かぐや姫、チューリップ、ガロ、猫、遠藤賢司、etc…、洋楽は未だヒットチャートが輝いていた頃で、解散しソロ活動するビートルズ4人、ポール・サイモン、アート・ガーファンクル、カーペンタース、エルトン・ジョン、ミッシェル・ポルナレフ、T・レックス、シカゴ、etc…デシタ。

 

この動画の歌は、動画解説にもあるように、ヘたジーニさんが、当時、自分たちの故郷へ思いを込めて作ったオリジナル曲。長崎県北松浦郡佐々町にあるヘタジーニさんの母校の高校、北松(ほくしょう)南高校(現在、清峰高校)の側にある佐々川と、そこに架かる小春橋を中心に、今は佐世保市になってしまった旧北松地区への優しいまなざしが感じられる佳曲だ。

 

当時はギター2台、サビの部分や2番を4人くらいのフルコーラス付きで歌うという、厚みのあるサウンドだったのだが、今回はギタ一本でとつとつとシンプルに歌われている。録音状態がイマイチで、また、ヘたジーニさんのかつての美声も若干エッジが…ではあるが、’70年代フォークの気配濃厚に漂う旋律は、40年近い時を越えて甦る、定番の歌になりそうである。

 

長崎県の旧北松浦郡にご縁のあった方にしか、心に届かない歌かもですが、良かったらお時間あれば御覧下さい。

本日もご訪問有り難うごさいます。それでも良い事がありますように!

 

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