雑感あれこれ。

ブログ、OTTAVA、芥川賞、友人たちの仕事。

110309(水)晴れ  今日は風が冷たい日だった。普通だと早く暖かい春が待ち遠しい。しかし暖かくなると多忙になる。嬉しいようなそうでないような。やれやれだ。

ブログにはある程度まとまった文章を…、という、何時、そう思ったのか、とにかくそういう先入観を自分は持っている。ある出来事を経験すると、即、ブログに反映したい時もある。また逆に、その出来事を暫く寝かせ、何かが醗酵するようになった時に形にしたいものもある。偉そうにも勿体ぶってそうしたからといって、内容が味のあるブログとはもちろん限らない。たいていは鼻持ちならない独り善がりの文章で自己満足の域を出てないと認識してる。それでもある程度の量が欲しいと思っている。何故そう思ってるのだろう。

ブログがそうでなければならないと言う決まりは何処にもないハズ。読む側からは、寧ろ短い方が良かったりするのかもしれない。ツイッター(Twitter)が、今という時代に存在するのはそれなりの意味があるからなのだと思う。どういう意味かは判らないけれど…。最近はご存知のようにフェイスブック(Facebook)も俄に注目されてる。匿名性のネットから、実名性のネット? へと移行して行くのだろうか? 肩書きがそれなりに立派な人でインターナショナルな活動をされる方は良いかもだ。しかし、もちろん世の中、英語がOKで肩書きがサマになる人ばかりでもない。

以下、ツイッター的に短いが忘備録的に。

 

ご存知の方もおられるかと思うが、OTTAVA(オッターヴァ)という、24時間ノンストップのクラシック音楽のインターネットラジオがある。東京TBSが作ってる。CMなどもあるのだが、それも含めて全てセンスがイイと思う。長くBGMにするにはオススメデス。良かったら試聴され見ては如何?

この情報は、幼友達松竹司クンが昨年暮れに私に教えてくれた。身近な人には既に教えた。もっと多くの方に教えようと思っていて今日になった。

その松竹クン、紹介する時期が遅れたが、スイスの有名なチョコレートメーカー、ペシュレの会社のPRコラムを、自らの洒脱なイラスト入りで書いている。良かったら覗いて見ては如何。素敵な仕事デス。


かなり前に既に読了済だっだのが、今回芥川賞を獲った西村賢太氏の『苦役列車』は、思った程面白くなかった。おすすめではない。それでも読みたいおひまな方は図書館ででもどうぞ。

まず、小説として面白くなかった。では、面白い小説の定義は?と問われると困るが、小説にはどういう形式であれ、何か日常を突破するような、それが出来るような、いや、出来るのではないか?と夢見れるような、何らかの要素が欲しいものである。その要素のみが、面白い小説の定義の全てはないが、一つの大きな項目だとは言えると思う。それがこの小説にはなかった。

作者の実体験である、東京における、日刊求人雑誌に常時載ってる履歴書不要、日雇いの東京湾岸荷物積み込み労働バイトの過酷な底辺労働の出口なき日常が延々と書いてある。随所に氏が敬愛する古風な私小説風な言い回しもあるが、だからといって面白い訳ではない。(そういう面白さは、ご存知の方も多いと思う町田康で既に十分味わえる)粗暴な性格の主人公なのに「僕」を使用するところにも自分は違和感も感じる。

このバイトは、信じて貰わなくても良いが、自分も20代の頃、金に逼迫して何度も経験してる。あれは五反田だったか、大きなビルの地下駐車場のような所に早朝集まり、仕事着を与えられ着替え、幌のついた車の荷台に何人も人身売買のように詰め込められ、気付くと東京湾岸で、冷凍魚が入ってる20〜30kgの恐ろしく重い木箱の積み降ろし。或は川崎か町田だったと思うが、駅前デパートの建設現場で資材運び。或は再び埠頭で、輸入バナナ(もの凄く青い)の整理(これは奇跡的に楽な部類)などをやった事がある。本書を読んでその頃の事を思い出した。

その仕事は、個人の人格とか名前などどうでも良く、「オラ、そこのメガネ(自分はメガネ掛けている)と自分は呼ばれた。「メガネ」という記号である自分。自分の代わりは何人もいるのだ。辞められても全然困らない。若くて体力を要求されるのであって、それ以外のものは必要ない。いや、あの現場は数を数えることが多かった。物事を量ではなく数で把握する習慣のある人はいいかもだ。自分は数は苦手であった。

ともかく、およそ希望が見えて来ない仕事場ではあった。「ここが、底辺かな〜」と自分も思っていた。労災も雇用保険もたぶん、あってないような所だった。今でも時々そこで仕事やってる夢を見ることがある。

作者の、その経験からの小説。面白くないが、それを小説にした作者は、そのお陰で芥川賞他を獲り、現在はその仕事場からはお陰様で解放されている。作者にとってはとてもとても良かったと思う。しかし、今でもその現場で働いている人はいる。そしてその仕事さえからも溢れる人も、今の時代には沢山いる。

以下は手前味噌だが、この小説などより、友人、佐藤憲胤(さとうのりかず)氏が、書いた衝撃の処女作『サージウスの死神』(第47回群像新人文学賞受賞)の方が、断然小説としての完成度があると思う。残念ながら芥川賞向きではないとは思うが、(しかし、『苦役列車』が貰う位ならこちらの方が断然小説として質はいいと思う)格調高いバイオレンスエンターティメント性がそこにある。御興味おありの方はどうぞ。佐藤さんは都内でバイトしながら作家活動ガンバッテいる。お近くの図書館になければ、購入希望リクエストを出して頂けると嬉しい。

講談社(2005年)1,470円
講談社(2005年)1,470円

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本日もご訪問頂きありがとうございます。良い事がありますように…!

 

 

 

コメント: 2
  • #2

    planetary-n (土曜日, 02 4月 2011 16:04)

    sasaさん、書き込みありがとうございます。
    姉等を通じて、東京の様子を教えてもらってます。
    いやはやですね。えぇ〜と、その姉から依頼されて、今日、こちらのスーパー近郊4件で、水をゲットしようと午前中動いたのですが、通常何処でもある2ℓのペットボトルは各社、全てのスーパーから全くありませんでした。あるのは、どこも500CCの水、一社(コカコーラ社)のみ。しょ〜がないので、そちらを4つのスーパーで少しづつ買いました。

    「水がない」、っという状態に、被災してない九州でも、そういう訳でなかなか対応出来ません。これはまず、国レベルで何とかして貰わないと個人レベルでは中々、焼け石に水状態だと感じます。死活問題ですよね。

    『サージウスの死神』、良い感想を頂き感謝です。コチラに戻ってからというもの、本に親しむということが、相当なくなりました。理由はひとえに、コチラは本とかを読むのに相応しい環境ではない、からだと思います。書店。古書店のなさ、図書館のなさ。車中心のライフスタイル。本と電車やバスでのライフスタイルは相性が良いですが、車とは良くないですね。

    それから今や、リアルな現実の方が小説より凄みがあって、小説が、もう追いつかない感じもします。この時代の未来を人はどう描写するのでしょうか。一つ気になる本もないことはないのですが、近々御紹介出来たらなと思います。

  • #1

    sasa (土曜日, 02 4月 2011 14:16)

    ベシュレコラムご紹介いただきありがとうございます。スタッフ一同頑張っております(笑)
    「サージウスの死神」の描写や臭いは仮想体感として残る程すばらしかった。ページから臭い立つものってナンだろう?他お薦め本あったらご紹介お願いします。