ストレンジ・Nの肝入り日記♯25
101229(水)晴れ 今年も押し詰まった。しかし「肝入り」はまだ気を抜けない。年末年始もお仕事がある。今日は、この地域の4つの聖域のうちの下の方にある2つのお正月準備をやる。「トシギ」と呼ばれる門松(の一種)を作る。これはその年の「肝入り」の仕事なのだ。
12月10日のブログで作った椎の木を2つに割り、その他に、「ウラジロ」(羊歯の一種、葉の裏が乳白色)、この辺りでは「ツルシバ」と呼ばれる「ユズリハ」、榊(サカキ)、椎の枝、竹、松、等を用意する。
用意すると、簡単に書いたが、これらを用意出来る田舎の豊かさは凄いものだと思う。都市空間でこれらを用意するのは、それこそ容易なことではないハズ。私が語らずとも皆さん十分ご承知の事と思う。
全ては豊かな自然があることが前提の作業。しかしながら、ここに長く住んで居る方々にとっては、それは当たり前のことのように感じられている。そのあたりの、都市生活者との感覚のズレは、ビチアス海淵のように深く横たわってる気が、する。
それらを、先の椎の木を二つに割った木の上部を重ね合わせたものに、セットしていく。順番に決まりはないようだが、松を最後にセットすると、見栄え的にも決まるようだ。
近くの稲荷神社に対で1セット、少し遠い聖域、「木の本神社」にも1対セットして来る。
これらは「トシギ」とこのあたりでは呼ばれる。「年木」という意味のようだ。(母談)
「トシギ」を束ねるヒモは、本来は藁を綯って縄、それも左綯いのヤツでやる習わし。しかし、その縄を綯える人がもうお年寄り以外殆どいない。なので、稲刈りの時に使うジュート 紐(麻紐)で代用する。
因みに私は時間さえかければ綯えなくもないが、右綯え、左綯えの区別は、一人では見分ける自信がない。習っても凄く難しいのだ。
「…それは由々しき問題だ、大事な村の伝統文化が風前の灯火だ。何とかしなくては! 日本の里山文化が廃れようとしている!日本はこれでいいのか!」
そう熱く口泡を飛ばす方がおられたら、そう思う貴方がどうぞ毎年ここへ来てやって下さい。…っとかいう発言はイケナイことだろうか?
明日以降の荒れ模様天気を考慮し神社の境内を再び掃いて、作業を終了。ひとまず安心する。
師走の多忙な中、
本日もご訪問頂きありがとうございます。よい事がありますように…!
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