『蜂と神さま』 金子みすゞ
「蜂と神さま」 金子みすゞ
蜂はお花のなかに、
お花はお庭のなかに、
お庭は土塀のなかに、
土塀は町のなかに、
町は日本のなかに、
日本は世界のなかに、
世界は神さまのなかに。
さうして、さうして、神さまは、
小ちやな蜂のなかに。
小さい頃、小学校の登校の道すがら、この宇宙の果てまで行けたとして、その向こうを突き抜けたら、通学路の道ばたに咲いているタンポポの花びらからひょこっと出て来るのではないか?と思った事がある。
この直感は自分ではわりと気に入ってる。
このHPのトップに書いている、
ウィリアム・ブレイクの
「無心のまえぶれ」、
一粒の砂に全世界を
一本の野の花に天国を見
おのれの手のなかに無限を
一刻のうちに永遠を感じる。
この詩にも共通するような、驚異の詩人の直感がそこにあると思う。
はじまりと終わりが重なり合ってるようなウロボノス的円環の宇宙観。
部分が全体を、全体が部分を反映しているようなホロニックな宇宙観。
直感というのは、
昔からそこにある叡智に、
ヒトの意識が交差しアクセスしたことだと思う。
宇宙はもしかしたら本当にそのように出来てるのかもしれない。
しかし、金子みすゞの生涯はこれでもかと言う程悲しい。
そうでないと、そういう世界には繋がらないのだろうか。
だとしたらそれはあまりにセツナイ…。
本日もご訪問ありがとうございます。良いことがありますように…。
Abner (日曜日, 22 7月 2012 18:40)
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planetary-n (月曜日, 11 10月 2010 23:51)
sayuさん、コメントと、金子みすゞのこれまた素敵な詩をどうもありがとうございます。
男の子は小学高学年、12〜13歳位が一番感受性が鋭く、この頃たいてい「宇宙の果ては?」とか「死んだらどうなるの?」とか、イナガキタルホ翁的に言えば『遠方の事情』に関心を持ちます。 UFOを観たりとか、すっと自殺とか、神隠しに遭うのもこの位、世阿弥的には「時分の花」、宮澤賢治的には「アドレッセンス中葉」とでも言うのでしょうね。大雑把に言えばレイ・ブラッドベリの小説に登場する年代、スピルバークの映画で自転車に乗ってる世代ですね。
その後はもう、たいてい、ただの大人になって行きます(笑) 宇宙の果てなんてもう、どうでもいいのですよ。それより日々に追われる訳ですね。
あとは、老人になるとまた、少し、考えれるようになるかもですね。そういった意味では絶対少年と老人、つまり社会の生産性から排除された人々にしかその世界は接近しないのかもですね。
コアラはユーカリの葉だけで生きてるし、牛は基本青草とか藁とかしか食べないのにどうしてあんな白い乳を出すの?とか、鶏はあんなに卵の殻でカルシウム出すのに不足しないのだろうか?とか、何故、四大文明はほぼ同じ時期に、忽然と高度な文明が出来たの? 世界中の遺跡には何故、同じ文様フラワーオブライフがあるの? 何故全てのモノには名前があるの? 月の公転がほぼ真円なのは何故?楕円ではないの?とか、大の大人は考えてはイケナイのであります。。
sayu (金曜日, 08 10月 2010 23:45)
金子みすずゞも素敵だけど、nさんのたんぽぽの花びらからひょっこりも素敵!小学生がそんな事考えるなんて。
ふしぎ
わたしはふしぎでたまらない、
黒い雲からふる雨が、
銀にひかっていることが。
わたしはふしぎでたまらない、
青いくわの葉たべている、
かいこが白くなることが。
わたしはふしぎでたまらない、
たれもいじらぬ夕顔が、
ひとりでぱらりと開くのが。
わたしはふしぎでたまらない、
たれにきいてもわらってて、
あたりまえだ、ということが。
そんな少年だったんでしょうね。nさんは:)
planetary-n (木曜日, 07 10月 2010 18:16)
tsuyoshiさん、何時もありがとうございます。
花と蜂の画像が撮れたらUPしようと、かねがね思ってたブログでした。UPしほっとしてます。勝手に、コスモスはお似合いかと思ってます。
惑星ハシグチも日が短くなって来ました。早く植えた田圃では、稲刈りが始まりました。私の所は遅く植えたのでもう少し先です。
TSUYOSHI (水曜日, 06 10月 2010 23:01)
うん。うん。わかるその感覚!!(>_<) 俺の場合は、永遠に続くけどね。どこまで行っても宇宙から抜け出せなくて、いまだに果ては見えません。(@_@;)なんてね。
金子みすゞは、人が幸せになるはずの人生で不幸になってしまった。あの時代には案外このようなことは、多かったのかも知れないね。誰にでも優しい人だったと聞いています。今は子供と自由でおられることを祈ります。