村人のお葬式。
100818 ~19(水.木)晴れ 一昨晩(100817)、地域の訃報が、まず「肝入り」(その年の世話役)である私の所に入った。夜8時過ぎの事だ。私はもう一人の「肝入り」であるYさんに即連絡。互いにそれぞれ、地域の上部エリア、下部エリアの方々に電話で連絡。夜10時にお亡くなりになられた方のご自宅、Nさん宅へ村民全世帯(2人ずつ)からお集り頂く。
亡くなられたのは、長く入院されておられたCおばさん(83才) 夜10時過ぎ、お坊さんが見え、読経がありその後、葬儀屋とともに通夜や告別式の日程が決まる、それを受けて、私共「肝入り」が、通夜の受付係、お手伝い、告別式の受付係り、お手伝い、その他の、役割りを、皆さんに希望を促し決定して行く。自主的な希望者もあり幸い長くかからずそれぞれ決定。夜12時頃解散。
このあたりでは、地域の方々がその地域内の葬儀にはお手伝いし、進めて行く習わしなのだ。「肝入り」はそのほぼ全過程をサポートする。
お通夜は、18日夕方18:30分から〜ということで、肝入りである私達は、夕方 17:00前にはNさん宅に出向き、通夜の受付の用意をやる。通夜はご自宅で執り行われるようになったのだ。もの凄く蒸し暑い夕方、ワイシャツの内側で汗が何度も流れて行くのが判る。YさんMさんと3人で受付をやる。以後〜21:00まで。
そして今日、19日(木)朝10:00より告別式。私共「肝入り」は、早朝8:30 、この町の斎場に集合。告別式の受付は、昨晩決めた係りの方。Mさん、もう一人のMさんと、Kちゃんがやる。「肝入り」は特にはやるべき事はないのだが、何かあるとすぐ対応出来るように全体を見回す。
昼11時過ぎに終了。一旦家に帰リ、一休みして16:00時、再び、Nさん宅に村人が集まる。「慰茶湯」(いざと)と呼ばれる、宴が催される予定
のだ。文字通り、逝去された故人を忍び、残されたご家族を慰める会なのだ。参加料は200円、前後したが、死道講(葬儀サポートの為の集まり作業の事を言う)として500円、参加者から徴収する。
これも、「肝入り」は16:00前、少し早めに入って来られる人々を待つ。今日も午後はモノ凄い暑さと湿気。不快指数100を越える?のではと思う位だ。
夕方6時頃、お役目を終えて帰宅。長くて暑い2日間であった。
本日も、御訪問頂きありがとうございます。良い事がありますように…!
planetary-n (金曜日, 20 8月 2010 23:44)
要平様、はじめまして。当、遊星測候所、ご訪問頂き、まことにありがとうございます。あちこちとっ散らかっておりますが、束の間でもお楽しみ頂けたら幸いです。
そうです、この付近で集落全戸が何かの役で葬儀に参加する風習がしっかり残っています。今は全て斎場でやられる場合が多いのですが、それでも「慰茶湯(いざと)」という慣習はあります。
そこのご家族だけの時間を大切にし、地域の人たちが、どかどか入り込まなくても良いのでは?と私などは思ったりしますが、親世代は、まだまだ、地域との関係性が濃厚な時代の人たちなので、そういう流れを踏襲しています。
最近はとても少なくなりましたが、その施主の希望によっては自宅で葬儀をやる場合もあり、その時はまた、独特の風習が村人総出で演出されます。
御盆の供物、目に留めて頂き、まことにありがとうございます。これらは殆ど地元の生産物で作られています。御箸も、専用の決まった植物の枝を使います。小 さい時から、その箸用の植物とお団子用の葉っぱを近くの野山に取りに行かせられていました。今は取りに行くのが面倒なので、家の敷地内に植えてます。
全ては、現在昭和ひとけた世代位までの方々の習慣ですね。その後の世代の継承されているのかどうかリサーチはしてません。少なくとも私の家では、その世代である母の代で終了だと思います。側で見てても、もの凄く大変な作業であります。
時代が激変して行く姿を、ここで、少しでも映し出す事が出来れば、このHPの意味はあったと言える事でしょう。ご訪問ありがとうございます。また気が向かれましたら、どうぞ何時でもお越し下さい。惑星ハシグチ「すぐそこの遠い場所」にアリマス。ありがとうございます。
planetary-n (金曜日, 20 8月 2010 23:43)
tsuyoshiさん、いつもありがとうございます。
そうか、肝入りもお役に立ててるのですね。だと良かったです。とにかく今年は何かと多忙であります。お陰様で色々経験させて頂いてます。
要平 (金曜日, 20 8月 2010 17:11)
突然ですが、初コメントさせていただきます。
肝いりの役割を無事納められ、心身ともお疲れのことと思います。集落全戸が何かの役で葬儀に参加される風習が、まだ受け継がれていることに驚き、感動を覚えました。
それと盆にお供えする供物の何と美しい色合いと品数なんでしょう。地元の生産物を使っての料理でしょうか、豊かに盛られて、おもわず故人との会話が始まりそうな雰囲気がします。
上記とも地方によって様式は変われども、私の子供のころも同じような風習がありました。いつまで受け継がれていくのか、余裕のない厳しい現実が置き去りにします。。
もうすっかり忘れていたところを思い出させていただきありがとうございました。
tsuyoshi (木曜日, 19 8月 2010 23:26)
nさん。ご苦労様でした。いやはや肝いりの仕事たるやハードを通り越して、宇宙的忙しさですね。しかし、その分残されたご家族がどんなに心強いか・・・(>_<)
感謝です。!!ありがとうございます。!!
tsuyoshi