ストレンジ・Nの肝入り日記♯15
100408(木)晴れ 早朝9時、惑星ハシグチの東南端にある、野原の中の祠、「大日様」で、厳かに神事があった。
その30分前あたりに、肝入りである私と、Yさんが来て、神事を行なわれる春日神社神官S氏を待つ。
天気が良くて何より。風が少し冷たい。神事の為に私が用意したのは、コメ八合、塩少々。御供飯(オゴク、ごはんのこと)御神酒、御燈明(ろうそく)蓙、座布団等だ。
程なく神官さんがおいでになる。まず、御供物等を配した後、徐に持参された衣装に着替えられ、昨日新しく取り付けた注連縄に紙垂(しで)と呼ばれる、雷状の白い紙を、作られる。出来上がった紙垂を神官さんより渡され、注連縄に、〆の子(藁で作られて飾り)の間に取り付ける。等間隔にバランスよく配置するハズだったが3つしかないので適当
にやった。しかし、本当は4つ。一枚2重になったまま取り付けていたのだ。神事の途中、神官さんが気付かれ無言で直される。いやはや…失礼しました!
神事はいくつかの祝詞か経が朗々と読み上げられる。その声は、時折強く吹く春風に乗って、あたりの林や谷の方に飛んでいくようだ。
春、平日の早朝、野焼きした後の野原の真ん中、こんもりとした山桃の樹の根元で、「大日様」の神事は、何時位前からか判らないくらい昔から、こうやって、その年の肝入りが施主となって厳かに執り行われていたのだと思う。
大日如来には有名な胎蔵界(物質世界)と金剛界(精神世界)の2種類があるようなのだが、この石仏は金剛界。智拳印という印をやっている。S神官に訪ねると農耕の神様を祭る祠ということだ。後で参加された村の長老からは、お遍路さんが毎春と秋にお参りに来る場所である事も教えて戴く。
柳田国男の遠野物語ではないが、初めて参加した自分は、何時しか民話的時空間にワープし、自分が遥かなる歴史の中のほんの一部であることを、感じた気がした。
planetary-n (木曜日, 22 4月 2010 14:58)
rafikiさん、まことに、ありがとうございます!
…いやはや!rafikiさんにそう言われると、何だか、もう、返す言葉もありません。あまり持ち上げないで下さいよ〜。ポレポレでいけなくなるではありませんか〜。いや、参りました。感謝です!
rafiki (木曜日, 22 4月 2010 14:45)
荘厳な感じのする祠ですね。大日如来様を祀っているのですね。これはハシグチの農村をお守りしているのですね。今年も豊年でありますように・・・爺も合掌です。
貴方も厳しい道を選択され、大変ですが・・・きっと沢山の神様のご加護があることだろうし、ブログをご覧になっている方全てが、見守っているように感じます。
planetary-n (金曜日, 09 4月 2010 16:53)
amberくん、コメントありがとう。
そうね~確かに、こういうブログ内容を書くとそういう方向のフィールドワークの必要性を感じますね。だけれど、正直、私があまり強くそういう民俗学的興味がないのデスヨ~。
柳田国男や後年の宮本常一という方が有名だと思うけれど、本好きの私が、一度もそちら側の本を読んだ経験がない。近いのは カスタネダの『ドンファン』シリーズ(二見書房他)を何冊か読んだだけか。 むしろ、マレビトやヨリシロと言う概念を生み出したとされる、折口信夫、「折口学」にたぶん、そのうち興味持つことだろうと思う。
しかし、本当のところ、「遠野物語」より、恩田陸の「常世物語』シリーズ。中でも、最初の『光の帝国』(タイトルがあんまりだが)が私は好きデス、って本の紹介で終わるかぁ~。ともあれ、あまり期待せずに長い目で見て頂けたら嬉しい。
amber (金曜日, 09 4月 2010 08:46)
神事の補佐、お疲れさまでした。
ある意味、贅沢な体験だったと思うよ。
こちらも今でこそベッドタウンだけど、30年ぐらい前までは田んぼと畑しかない土地で、ところどころにお地蔵さんや道祖神が祀ってある。
トトロの森みたいな神社もね。
ここでもまだ神事はまだ続いていて、自分が単に知らないだけなのかも。
ただ、「神聖さ」の等高線みたいなものが描けるとしたら、相当に乱れているだろうと思うけど。
そちらの土地に遠野物語にあたる逸話とかないの?(多分あるだろうね)
そういう面白い話も読ませていただけると嬉しい。