ストレンジ・Nの肝入り日記♯03
100119(火)来週日曜日(24日の早朝に行われる、伝統行事「八天講」の準備の為、現地、八天様へ行って見る。去年のブログを見ておられる方はご存知かもしないが、夏に「御灯夜」(おとや)という伝統行事をやった場所と同じ、惑星ハシグチの南東の端の杜の中それはある。道路からその林道に入る所には注連
縄がある。かつては女人禁制だったそう。(現在は村人の女性の方も入れる)。今日来たのは注連縄の設置の仕方やそれを取り付ける竹の数と長さ太さ等のチェックの為だ。ここに一人でじっくり来ることはあまりない。肝入りという時でないと、そうそうじっくり来る事もないので、立場を利用ではないが、それゆえ
お許しを貰えるよう神前に挨拶し、この際じっくり観察することにした。
ここの一番の特徴はなんといってもこの高く積み上げられた石の上に祠がある点だ。村の方々は「高神様」と呼んでいる。祠は新しく建立されたようで、旧祠も台座の上に保存されていて、銘には
明和二年」(1765)とある。今から約240年前。江戸時代中後期、西洋ではゲーテ(1741~1802)や、ウィリアム・ブレイク(1757~1827)が生きていて、 ロマン主義が成立し、近代薔薇十字運動が活性化していた頃だ。
江戸時代のこのあたりはどんな風景だったのだろうか…、あまり日本の中世とかに興味がない私も、少し、いにしえに思いをはせて見る。地元郷土誌によれば、祭神は迦具土(かぐつちのみこと・火の神)といって、武運長久(武士の戦いにおける良運が久しく続くこと)・厄年・開運を司どる神らしい。
私はこれを最初に見た時、日本でありながら、アイルランドあたりのケルト文明、そのあたりの石の遺跡文化をイメージしてしまった。森の中から見える向こう側の台地の感じ、たいてい曇っているこのあたりの冬空、ひんやりとした少し湿気を帯びた大気。フトここが何処だか判らなくなりそうな気配だ。
もう一つの特徴は石の祭壇のそばにある杉の巨木だ。先の郷土誌(『吉井町郷土誌』、昭和41年)の文章をそのまま引用しすると、「当社の杉は、近郷にない珍しい巨木で、見るものすべて驚きの声を発しないものはないほどである」もちろん、伊勢神宮や、阿蘇の幣立神宮などに行けば、信じ難い大きさの杉がありそれにはかなわないが、それでもかなりそれらにせまっている堂々たる巨木である。一体誰が何時頃植えたのだろうか…。湧いて来る思いはキリがない。注連縄の設置の様子等を確認して帰って来る。
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