惑星ハシグチ雪景色
100113(水) 惑星ハシグチも今日は雪景色だった。大雪でウンザリされておられる地方の方には大変申し訳ないと思いますが、長崎県では、そうしょっちゅうあることではない。なので、やはりこの非日常感は少しばかり心を踊らせてくれる。
雪が降ると、大抵惑星ハシグチエリアの道はチェーンでもしないと通れなくなる。このあたり、長崎県北部山沿い地方は寒いので有名。雪も何時までも解けない。惑星ハシグチ全体は緩やかな北側斜面なので他が解けても最後まで残っている。私の家では、私が今ブログをこうやって書いている私の部屋の外が一番雪が解けない。いっそ夏まで。無理か。
雪の一日、惑星ハシグチは、暫し、映画『シャイニング』のように、”閉ざされた町”になる。この閉塞感は心地良かったりする。辺りはトテモ静かで、内面的思考が豊かになる、気がする。気温と内面の想像力には相関関係があると思う。暑いと思考停止になりますからね。一週間、いや一ヶ月位このまんまでも構わない気が個人的にはするのだが、勿論そうはならない。
『閉ざされた町(街)』と言えば、70年代後半、日本のロックシーンを震撼させたバンド、「カルメン・マキ&OZ」の、セカンドアルバムのタイトルチューンだ。映像的叙事詩みたいなこの楽曲が好きで、若い頃いつも夕方になると、この10分を超える大作楽曲(YouTubeにアリ)を庭先で大音量で聴いていた。地響きのように重いフレーズから始まり、カルメン・マキが魔女のように歌う。
相当廻りには奇異に映っていたことだろう。歌詞の内容も日本シュールレアリズムだ。当時の紙ジャケットの精緻なイラストレーションは、日頃殆ど誰も見ないレコードを入れる内側まで描いてあって、裏表でメタモルフォーゼのように繋がっていた。この凝り様がCDジャケットに反映されているのかは未確認。話がそれた。
雪が降ると、レイモンド・ブリックス原作の絵本、アニメ、『スノーマン』のテーマ曲『Walking in the air』が何処から聞こえて来そうだ。オリジナル版をYouTubeで見ると、地上から飛び立つシーンに何故かすごく感動してしまう。たぶん私のツボなのだろう。映画『E.T』での自転車が飛び立つシーン、『天空の城ラピュタ』で飛行石ともに浮遊していく感覚…。
きっと、重力から解放されることへの憧憬があるからなのだと思う。何故憧れるのか?と問えば、貴方も私もたぶん、昔か未来、別の世界で、その経験があったからなのだと思う。懐かしいのだ。そう思いまセンカ?
planetary-n (水曜日, 20 1月 2010 00:06)
tsuyoshiさん、興味深いメール、ありがとうございます!学校の帰りに何時間も道草しながら、こんな風に、「永遠宇宙」について話した日々を思い出しました。
誤解を恐れずに言い切ってしまうと宇宙はフラクタルでホロニックな構造になっていると今は密かに確信してます。そして、ミクロ=マクロです。その中心に私たち人間がいます。宇宙がこうあるのは、私たち人間がここにいる、私がここにいるということと大変な関係があります。
宇宙はまた、ものすごくシステマチックに律動しています。そして何千年おきに交替化、総転移しているという考えに行き着いてます。これらについては新カテゴリーを近々新設する予定で、そちらで、少しづつでも話して行けたらと思います。
それら入る前に、カテゴリー、『アーカイブ』の旧遊星測候所、バックナンバーコラム#06、「遊星測候所は如何にして次元の狭間に建てられたか?」1〜6を御閑時でもダウンロード、目を通して頂けると嬉しいです。
余談デスガ、このコラムでインタビューをしている佐藤憲一氏は、第47回群像新人文学賞を一発で受賞し、現在小説家になった佐藤憲胤氏デス。『サージウスの死神』(講談社2005)『ソードリッカー』(講談社2009)、小さいけど素敵な会社の仕事仲間デシタ。このあたりも改めて御紹介出来たらと思います。
tsuyoshi (火曜日, 19 1月 2010 22:48)
宇宙観については同感です。俺も理論や知識としてあるわけじゃないけど、直感的に小さいころから感じています。なんで自分たちが地球に存在するのか?なんの役割があって存在しているのか?なんのために自分の体が動くのか?不思議だよね。
そのうちそういうことについても話しましょう。
では、また。
planetary-n (月曜日, 18 1月 2010 22:27)
あの丘にいつか、私設天文台を作って見たいと30代くらいまでよく思っていました。あそこは、この辺りでは一番見晴らしがいい。南側に五蔵岳を眺め、そこから裾野のように広がる「マノセ」の緑もきれい。
あの緑の丘に、白か、銀色のドームがあって、25cmカセグレン式の望遠鏡を設置。夕日に映える円いドームの風景を 、遠くから眺めるイメージもいいだろうな~。近所の子供達を呼んで天体観測会を開く…。なんてね。
しかし、今は、実は、あまり、そう思わなくなりましたよ、Tsuyoshiさん。もちろん、夜空を見上げる気持ち良さは今でも知ってますよ。
それは、宇宙のことが好きで、いろいろ探求していった果てに、今の大ていの人が持っている宇宙観、つまり、よくSFの世界で語られる、「遥かな、広大な宇宙、その中のちっぽけな私 」という宇宙観、 これは19世紀のニュートン・デカルト等の還元主義の宇宙観で、今も学校の教科書等、大ていは、そういう宇宙観を採用し殆ど誰もがそんなのだと、疑わないかと思います。
しかし、tsuyoshiさん、もし、もしもですよ、その宇宙観がアヤマリだったとしたら…?、世の中には、全く違う宇宙観を提示している人がいます。そしてその宇宙観の方を知れば知る程、たいへんな整合性がある、としたら、どうしましょう? 世界観が変わってしまいますね。
私は、いやはや!そういういうのに出会ってしまいました! 30才を少し過ぎたくらいか? 私たちが習って来た宇宙観は、どうやら、本当の宇宙と少し、いや、かなり違うのでは?と、今は実のところ、思っています。今年は、このあたりも話せて行けたらと思います。
落武者伝説多いですね。このエリアのあちこちにも、不思議な祠が昔からあります。小さい頃から見ているので、べつにことさら、思わないけれど、だいたい何の祠なのか?よくわからない。まったくワンダーなフィールドですね。そのあたりも、おいおいやって行けたらと思います。
tsuyoshi (日曜日, 17 1月 2010 18:37)
うん。あの丘を我が家では、「びゃーらかんね」と発音します。ひとによって呼び方が少しづつ違うのがまた不思議だね。西日の当たるオレンジ空間。真中を通る道が良くなったけど、基本は全く変わらないよね。ど真ん中にある小さな墓所(Y中さん家?)の落ち武者の話は知ってるかな?今度調べてみてね?俺は怖いからノータッチね(*^_^*)昔から怖がりなんです。
俺もだんだんあの場所が想い出の場所だけじゃなくて「人類の聖地に思えてきたぞ!!」
小さな時、あの場所に家を建てるのが夢だったなあ!!
いつか実現するかな??
今後も調査続行!!
tsuyoshi
tsuyoshi (土曜日, 16 1月 2010 19:14)
Byarrakwann・・・なんとも不思議な響きだよね。そしてあの景色は何とも言えないです。若いころはいつもあの場所を目指していたような気がします。俺の夢の中ではあそこから海が見えます。(笑)いつも同じ風景です。変わらない景色と想い出がある懐かしい場所です。
地域行事頑張ってください。また遊びに来ます。
planetary-nさんのお宅にも是非寄らせていただきます。
では、また!! tsuyoshi
planetary-n (土曜日, 16 1月 2010 01:05)
わぁお〜ううううう、tsuyoshiさん! コ、コメントありがとうございます!
先日は、御通夜の席とは云え、ゆうに30年以上振りにお会い出来て!感無量!言葉にならない嬉しさがありました!その席でお渡しした葉書のHPアドレスは 、最後の/が抜けているのに、ナント、最近になって気付き、愕然!としてたところです。
tsuyoshiさんを始め、昨年秋から、バラまいた開設案内葉書は、一体何だったのダロウ!と…。そういう不完全なアドレスにも関わらず、何とか、このささやかな場所へアクセスして頂き、誠にありがとうございます!感謝します!
わぉぅ〜、何処から、何から話しましょうか!Tsuyoshiさん!あれから4半世紀以上、時が流れました! あっと、Tsuyoshiさん、メールもそのうち下さいね。メールでも話せるようにしておきたいですので、宜しくお願いしま〜す。
明後日に地域行事がある予定です。その関係で私は今、それ以外のことに、日曜日過ぎるまで、頭、不器用なので廻りません。
でも、ヨシ!しばらくは、tsuyoshiさんが、このブログを観ている事を第一に念頭に置いて、書いて観ることにしますね。
また何時でも遊びに来て下さい。思い出したらすぐ其処にありマス!そして、実際の惑星ハシグチ、私のところにも!昔のように!どうぞお越し下さいね〜! あの、僕たちのByarrakwann を通って!全ては昔のまんまです。待ってますよ〜!
今日はありがとうございました!
tsuyoshi (土曜日, 16 1月 2010 00:09)
凄い景色になってますね。
先日は父のお通夜にありがとうございました。
またお会いしましょう。