本日も山へ竹取りに。

稲刈竹取物語 - 3

ここはちょっとした日だまりでもあって気持ち良い。
ここはちょっとした日だまりでもあって気持ち良い。

 10月8日(木)。本日も昨日に続き、竹取り。とにかく程よい大きさの竹を切る。台風一過、こちら九州北部は、強風が一時的に吹いたが、幸運なことに大した事もなく過ぎて行った。日頃は台風銀座だから皆さまお許しを!

 

1本からうまく行くと3本(約170cm×3)採れるの

 

竹林のイキモノ。古い竹の上で。
竹林のイキモノ。古い竹の上で。

で。約50本あればいい事になるが、実際は短い竹もあるので、60~70本ほしいところ。今日で約50本以上はキープした。

 

次回は170cm位に切断して行く。

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コメント: 4
  • #1

    notch+i (月曜日, 12 10月 2009 15:28)

    本当に沢山の竹を必要とするのですね。これらの竹は来年また使い回しするということはできないのですか?

    planetary-nさんのおかげで、本当に稲作作業の多様さを知りました。
    水利のための川~水管理、そしてその作業。
    水路確保のための水田と関係のない場所での草刈り作業。
    そして掛け干しを行うための竹林での作業。

    以前、米の文字、八十八に込められた意味について聞いたことがあります。
    八十八夜の頃に田植えをするから。
    田植えを行って八十八夜で刈り取るから。
    苗作りから脱穀まで八十八の手がかかるから……。

    掛け干しのこと。
    農家の友人に聞きますと、米の流通が自由に行われるようになって増えているそうですね。
    農家から直接消費者に売るのに、より美味しい米を届けたいからという理由で。
    彼が言うにはそうやって丹精込めて作った米は、市販されている東北の銘柄米と味はそれほど変わらない……と。

  • #2

    planetary-n (月曜日, 12 10月 2009 22:58)

    notch+i さま、コメントありがとうございます。
    

竹は、保存状態さえ良ければ使い回し可ですしそうするつもりです。

    上手く保存すれば2~3年は持ちます。

農家が直接消費者に売る事が大事だと私は考えます。そうすることよって、商品に責任を持つし、喜ばれれば、自信と喜び、誇りを持つ事が出来る。他の業界では実に当たり前な流れが、農業にこれまで、なかった、農協とかに任せてしまったことに、農家の怠慢さ不勉強さ
主体性のなさがあったと思います。


    これからは若い人も就農してますし、変わって行くことと思います。これも他の業界では、別に当たり前のことなのですが、農業では交代化が遅かったと言えると思います。

  • #3

    ラフィキ (火曜日, 13 10月 2009 22:21)

    田んぼの黄金色・・今か今かと待つ時期になりましたね。私の所は田は皆無です。麦、小麦なども見ることはありません。エンドウ豆<こちらでは絹さや豌豆といいます>。これが12月からの出荷でしょうか。後は山に入って花材を切ってきては生け花様に出荷しているようです。
    さて、農家の子だくさん、貧乏ものの子だくさん・・というのかな。景気が良ければ町で仕事をし、不景気になれば田舎に帰って農業をする。昔は娯楽の無いせいか、子どもが多かったように思います。特に農業関係者に・・。この2.3男対策が満州開拓団に繋がったという考えも生まれてくることになります。人がいなかったら植民地を探して出掛けることになったでしょうかね。
    要するに何時の世も、農業は生かざず殺さず・・だったのですよね。江戸から明治にかけてはもっと深刻なことをやりましたよね。そうです・・部落民です。これは大変貧しい職業・・農業の下に生きていかざるを得ない集団を作ったのです。もう行やるむんしゅうのしたに、もっと悲惨な集団を作らすことによって、農民に無理を強いたのですよね・・。明治になって新平民として残り、昭和・平成の世も同和政策でもめて煎るではありませんか。ここら辺でやめます。
    気になる人がおりましたらお詫びいたします。

  • #4

    planetary-n (木曜日, 15 10月 2009 09:19)

    ラフィキさま、コメントありがとうございます。
    
同和問題、確かに難しい事柄ですね。同和以外にも世間には沢山のマイノリティの問題があるかと思います。その他のマイノリティと同じにされては、お困りかもしれません。それぞれのマイノリティ当事者にとってはやはり大きな問題なのだと思います。そうだとしても、ここは誤解を恐れず、とりあえずマイノリティのひとつとさせて頂きます。

    


時代は変わっていくと思います。どんなに根深く、石のように不動だと思われた問題でも、意外なところから崩れていくのがこの平成の時代だと私は思います。

そして、たぶんもうすぐすると、あらゆるマイノリティもマジョリティも、そんな自らの問題が吹っ飛ぶくらいの世界的な変化に見舞われると私は思います。時代はそんなポイントに来ていると私は思っている訳です。



    そんな未曾有の時代を、せめて縁のある人たちと分かち合って生きて行きたいと思ってます。その世界一小さなステーションが、ここ遊星測候所です。よろしくどうぞ。ありがとうございます。