真夏の夜の神事。
7月20日(月)(祭)。毎年7月20日の夜は、惑星ハシグチ、『御灯夜』と呼ばれる、御神事がある。これは、紙媒体『惑星ハシグチ』vol.03号(HPのカテゴリー、アーカイヴにPDFファイル有り)に御紹介したように、夏、田圃に虫が来ないように祈祷する神事のことで、惑星ハシグチ、東南のはずれの杜の聖域、『八天様』で行われる。
『八天様』とは、迦具土神(かぐつちの神)という火之神が祭ってある場所。約,縦1m×横2mのところに石を積み重ね、高さ2mは、ゆうに超える所まで積み上げたその上に、祠があるという、珍しい形をしている。画像をお見せ出来ないのが残念だが、英国、ウエールズ地方や、アイルランドあたり、いわゆるケルト地方にみられる巨石遺構のような感じでもあり、とても興味深い。
参加は基本的には自由なのだが、村の長老達は殆ど出席する。自由参加なので、来なくてもいいのだが、今年、私は出席した。それもかなり早い時間に。理由があるのだ。
御灯火を始め、ここ惑星ハシグチで、年間を通じて行われる行事は、戸数17戸の住人のうちの2戸が回り持ちで、お世話することになっている。
この2戸のうちの一つが、来年私の家だ。年老いた母と二人しかいないのだから、私がやるしかない。永年ここを離れていた私は、その行事の流れを把握してない。なので、早めに来て、今年のお世話をやっておられるうちの一人、Mさんが準備している所へ顔を出し、質問などさせて頂き把握に努める。「9年に一度しか回って来んけん、よう覚えとらんところもあるよ」などとおっしゃりつつも、祈祷するお坊さんが、折からの雨で座りにくい石の台座、そこに敷くビニールシートを、ちゃんと用意しておられる。
ハシグチ村は大きく2つ、上講8戸と、下講9戸という呼称にて、行政的?
に分かれる。私の方は下講に属し、来年、一年の行事をお世話する、『肝いり』になる。少しでも、流れを把握しておかなくてはとの思いだ。
夕方7時前に、隣町から祈祷のためのお坊さんが来る頃には、惑星の住人
たちも集まって来る。蚊よけの為でもあるが、近くの竹の廃材などで火を点ける。この、火と、煙と、あたりじゅうの雑木林から聞こえて来る、ヒグラシ蝉の、あの、時間差反復鳴き声の大合唱、それをバックに、お坊さんの野太い真言がこだまする。このサラウンド効果は、人を軽いトランス状態に誘う。
昔は女人禁制だったようだが、今はそれはなくなっている。神事後は夜遅くまでこの場所で飲んだりしていたらしいが、今は神事が終わると、場所を惑星ハシグチのもう一つの聖域である稲荷神社へ移し、軽く宴を設ける。
この時の、お酒やお酒の肴を肝いりが用意しなくてはならない。聞く所による伝統としてはキュウリの酢物だけでお酒も一升で良かったらしい。が最近はどうやらお酒も肴もふえた様子。
実際、来年のこともあるので、2次会というかその宴に初めて暫く参加した。とりあえずビール、ではなく、のっけから清酒である。さすがに強引に進めるとかはないけれど、それからが延々と長い。いったん締めて、帰る人を返し、残って飲みたい人は存分に、というのが自然でいいのでは?と思うが、モチロン新米の私に発言権がある訳がない。帰るタイミングを失する。
話は、村のあちこちに出没する猪や、ハクビシン、狸、のこと、それらの、電線による対処法、そのコスト削減法、農協と役所癒着への不審など。そういう頃は、情報交換シェア的で有意義かと思うが、そのうち、ナンダカどうでもいい話が延々と果てしなく続く気配が漂って来た。
長老が帰る時を見計らって、おいとまさせて頂いたが、単にお酒が好きでただ酒が飲めるからずぅ〜といるのでは?思わざるを得ない感じも正直した。この村を今後どうしよう?とか、そういう建設的な話が出る訳でもない。まだまだ自分たちでやれるという自信とプライドがあるのだろうなと思う。来年が今から少し思いやられてイル。
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まさお (日曜日, 26 7月 2009 13:44)
わたしは一度も参加したことがない。やはりハシグチ生まれ
れであっても、村の一員ではないことの証明だろうか。写真
からは南米のインディオの雰囲気が感じられます。いままで
このように村の行事を文字化したものはなかったのではないで
でしょうか。貴重な資料になると思いますので、今後もし
っかり記録して欲しいです。
planetary-n (日曜日, 26 7月 2009 15:57)
まさおさま、コメントありがとうございます。昔は大家族でしたので、誰か一人参加すれば良く、祖父がすべてそういうのは出ていたのではないでしょうか? ここで育っても、知らない人は多いかと思います。
村の民俗学的考察も、気にはなるのですが、村においては新米なので私が出来る事は限られています。また、自然に興味があるが、人には自然ほど興味がない(たぶん)という私の資質もあるかと思います(笑)。宮本常一より野尻抱影でしたから。
ラフィキ (木曜日, 30 7月 2009 15:08)
虫除け、虫退治と称するお祭りめいたことはあちこちに存在するのでしょうね。これを纏めて、村人が読みあっていく中で、これから先を考えていくのでしょうね。
まあ、お祭りだから・・呑む、のでしょうが。呑む為に祭を維持、継続して行くと言ったらお叱りを蒙るのでは無いかな。しかし、そこをも見据えて将来を考えていく必要が・・・何か感じられます。
planetary-n (木曜日, 06 8月 2009 01:25)
ラフィキさま、コメントありがとうございます。昔は、今のように娯楽がなかったと思いますし、特にお酒が好きな人は、こういう村の行事がかなりの楽しみだったと思えます。何故なら、大義名文でただ酒が飲めるからです。率直なところ、ただ酒を目当てに寄って来るナンテ、私はサイテーだと思ってるところがあります。それも今時日本酒。若い人は、せいぜいビール、焼酎。自腹で飲んでこそだと。いい年をした大人が情けない。他に楽しみはないのか?とも思う。飲み過ぎるとと肝臓をいためる。肝臓をいめると、人は怒りっぽくなる。で、喧嘩が始まる。今時、酩酊するほど飲む人はあまりいない。飲みたい人は勝手に自己責任において飲むめばいいと思います。そのお世話を遅くまで拘束される『肝いり』は大変な負担だと思うわけです。