RCサクセション/サマータイムブルース!(1988)
問答無用で聞く。
1981年の夏、RCサクセションは、佐世保市民会館でコンサートを開いた。’80年初頭のRCサクセションは、名曲「スローバラード」や「雨上がりの夜空に」をガンガンヒットさせて輝いていた。時代はテクノ・ニューウェーブ。YMOやシーナ&ロケッツ、或はプラスチックスやヒカシュー等の新しい音楽の中にあっても、そこは不動のキング・オブ・ロック! 最後のカウンターカルチャーヒーローだった。
当時のトンガリ少年少女を一挙掬いとっていた雑誌『宝島』では、センシティブで体制に屈しない忌野清志郎氏の、そのファッション、言動、全てが、サブカルチャーのカリスマであった。そしてその人気は「トランジスタ・ラジオ(1980)」あたりで最高潮に達していたと思う。
大学を中退し、あらゆることに腐っていた自分はその日、隣町の同年代のアル中現代美術家Tと高校美術部の後輩Kと、市民会館の会場にいた。RCサクセションの地元である東京国立市に学生時代住んでいた自分としては、すでにRCのライブの凄さは学園祭などで経験済だった。佐世保も盛り上がることだろうと確信していた。
オープニングギグからキヨシローは勢い良く飛び出し観客を乗せようとする。しかし最果ての地方都市佐世保のイタイケな少年少女はイマイチ乗りが悪い。そうやって数曲流れる前半、RCの東京でのモノスゴイ熱気を知ってる自分は、何かに堪り兼ねたのか、イキナリ会場中程からアリーナに飛び出し、頭上で大きく拍手しながら会場の方を振り返り観客をアリーナに呼び会場が総立ちになるのを煽った。弾けたように会場は一気に総立ちになり、何人もの観客がステージ側にやって来た。最高の盛り上がりになって来た。
自分は、最初に飛び出し観客を煽ったということで、会場の警備員に取り押えられ、いったん会場の外に連れ出された。自分は「ふざけるんじゃねー、盛り上げて何が悪い〜!テメー放せこのタコー!」等とわめいていたと思う。
いつもは、アートの話で議論し意見がぶつかり合うアル中現代美術家Tだが、この時は、もみくちゃになってる自分と警備員の間に体を張って入って来て自分をかばってくれた。あれには今思うとチョット驚き、そして感謝の気持ちがある。
火を点けたお陰かコンサートは最高に盛り上がり、キング・オブ・ロックも喜びステージを高くジャンプしていた。 自分はあちこちズタズタになったが、一応満足だった。
コンサートの興奮さめやらぬ自分と美術家Tは、そこから20km近くある自分達の家の方角の道を一晩中歩いて帰った。蒸し暑い夏の夜だった。22歳、世界の全てと自分は噛み合ず、全てがつまらなかった。自分はいつも歯ぎしりしていたように思う。
佐世保から数十キロ。隣町の、そのまた片田舎で、ウォーホールや、デ・クーニングや、ラウシェンバークや、ジャスパー・ジョーンズを語り、いつも憂いた悲しい目をしていた美術家Tは、今、何処にいるか知らない。
キング・オブ・ロックも別次元に逝った。22歳の自分は30年後の自分を見て何と思うだろうか。( ケッ!!! とか言いそうだ )
本日もご訪問ありがとうございます。それでも良い事がありますように!
虚言癖死ね (金曜日, 08 9月 2017 22:03)
ムカムカしていて、前回はつい口汚く罵ってしまい申し訳ありませんでした。何しろ30年前程の事ですから、私の記憶があやふやになっていた部分もあったかもしれません。ですが、物凄く盛り上がった事はしっかりと覚えています。改めて、前のコメントは本当に申し訳ありませんでした。お互い体に気を付けましょう
ストレンジ・N (金曜日, 08 9月 2017 09:35)
虚言死ねさん、
かなり昔のことについてのブログに、
メッセージありがとうございます。
虚言死ねさん、大変申し訳ありませんが、
このことは、事実です。 当時私は、友人2人と行きました。
本文中に出てくる友人2人です。
その2人とも、今でもそのことは知っています。
そもそも、嘘を書いてまで、私は手間暇かけて、ブログ書いたりしませんよ。そんなヒマは残念ながら、ないからです。
もう昔のことで、そこまで覚えてませんが、
公演が1日ではなく2日あったのかも知れません。
虚言癖死ねさんが、行かれたのは別の日だったのかもしれません。
ともあれ、30年以上も前の出来事について、
わざわざメッセージ、ありがとうございます。
お互い結構な年になったと思います。
体に気をつけて生きていきましょう。
ストレンジ・N
虚言癖死ね (金曜日, 08 9月 2017 06:15)
嘘ついて恥ずかしくないんですか?
当時佐世保ライブにに行きましたけどそんな人いませんでしたよ?
planetary-n (金曜日, 08 4月 2011 23:24)
わぁ〜、ヒデキ殿、ごめんなさいデス。
…そう、でしたか…忌野清志郎氏の葬儀に参列されたのですね…。それはそれは…デス。
逝去された時に、オマージュのブログを書くつもりだったのですがタイミングを逃し、今回に使いました。ご存知のように、本質はシャイで、ピュアな詩人でしたね。合掌。
ヒデキ (月曜日, 04 4月 2011 19:14)
清志郎さんの葬儀デスヨ。
planetary-n (日曜日, 03 4月 2011 23:25)
WAO-、ヒデキ殿、書き込みありがとうございます!
ヒデキ殿がお好きな、佐野元春的に言えば、
♪「誰にも従わず、傷の手当せずただ…」というような、あの名曲をも想起します。まったく「若すぎて何だかわからなかった事がリアルに感じてしまうこの頃」なのかもデス。
葬儀は、入居者の方なのかな?
生きてると色んなことを経験しますね…。
いつか、それこそ『サムデイ』を、一緒にやって見たいね。大好きな歌デス。その時は、あの、間奏のサックスを聞かせおくれ。元気でね。
planetary-n (日曜日, 03 4月 2011 23:05)
ウェーブさん、書き込みありがとうございます。
楽曲には今を、演奏者には昔を、反映させて見ました。いや〜、簡単に言ってしまえば、若さのなせる技ですね。(苦汗!)全て実話デス。本当に佐世保から自宅まで歩いて帰りまシタ。
RCサクセションの、故、忌野清志郎氏の御実家は、国立駅北側の、国分寺市富士本にあり、RCの楽曲にある「多摩蘭坂」( アルバム『BLUE』挿入)は、国立に住んでいた頃のアパートのすぐ側の、西国分寺との境目の心臓破りの急な坂「たまらん坂」のことデシタ。
アパートから国立駅までの途中にある、一橋大学の学園祭でライブも見てましたし、特別な親しみを持っていた訳なのデス。
しかし、今や巨大な野外ロックコンサートも、何処かの広告代理店が裏で完全にパックし、出口なき若者のリピドーを安全な場所で処理させ、LOVE&PEACEさえをも消費されて行く時代なのだと、個人的には思いマス、ロックは既に死に体なのデス。
救済コンサートとなると、また別ですがね。
花見ですか…、良いですね。こちら地元は8日が「お花見」デス。桜は今、こちらは5分咲き位デス。それでも良き春をお迎え下さい。
ヒデキ (日曜日, 03 4月 2011 21:42)
自分は青山葬儀所にいきました。
夜勤明けで急に思い立って・・
月の綺麗な夜でした。
ウェーブ (日曜日, 03 4月 2011 20:10)
こんな話初めて聞いたよ。しかし、いかにもありそうなことだと思う。感情移入が人一倍強いのかも。君の一面を知りなるほどと納得しました。こんな世界に住んでいてよく狂わずにいられるなーと感じることがしばしばです。そんな時は大酒を飲み、罵詈雑言をまき散らし、神をも畏れぬ気分になって酔っぱらうことで発散しています。明日は市ヶ谷の土手の桜をつまみに今春第一回の花見です。いつか一緒に花見でもやりたいね。