ヒッピーカルチャーとの出会い 3

   「 ほびっと村」外観 。2012年9月 筆者撮影。
   「 ほびっと村」外観 。2012年9月 筆者撮影。

 

  1978   東京 西荻窪 ほびっと村~プラサード書店


1978年、東京の夏は暑かった。
金沢に住んでるハズの、高校美術部の先輩Nさんが、初夏に突然、国立のアパートに遊びに来た。高円寺に越して来てデザインスクールに通ってるという。夏が始まろうとする頃、JR中央線を、大学のある八王子方向とは逆の新宿方向へ乗り、自分は初めて高円寺のホームに降り立った 。立ち眩みがしそうな暑さ、高架沿いの環七の向こうに、新宿の高層ビル群が少し見えていた。

 

 

直立不動のビルの隙間から
入道雲が動きだし
白い世界が広がれば、
誰もがみんな 変わってしまう
私は熱いコーヒー飲んでる
サテンの窓の2階より


 

「崩壊の前日」/ カルメン・マキ&OZ  アルバム『閉ざされた町』(1976)より。(ジャケットイラストは、多くのロックな絵を描かれた、故・吉田カツ氏。絵が表から普通誰も見ない内側までメビウスの輪のように繋がってる、という凝りようだった!)


自分はいつの間にか、このOZの「崩壊の前日」を口ずさみながら、改札口を抜けていた。カルメン・マキの魔女のようにパワフルな声と、春日博文氏のヘヴィーなギターソロ、そしてシュールな歌詞は、1978年夏、うだる暑さ、日本のインド(※1)高円寺には良く似合った。

 

(※1)「高円寺は日本のインド」とは、みうらじゅん氏が、著書『青春の正体』(KKベストセラーズ 2005年)にて述べた名言。'70年代後半当時から、あの、インド・ネパール・アジア直輸入衣料雑貨店「仲屋むげん堂」はフレンドリーに存在したし、すでにディープでカオスな街だった。


高円寺南口のパル商店街だったかを抜けた、路地沿いのアパートの住人だった先輩Nさんは、日本のインドで、すでにT.M.瞑想をやっており、さらに、シディ・プログラムという上級コースをも修了していた。遊びに行くと、意識とは、どうなっているのか等、トランス・ヒマラヤン・レクチャー(自分が勝手にそう呼称していた)を、ジョン・マクラフリン「黙示録」や、出たばかりの喜多郎「天界」を聴きながら受講していた。

そのNさんが、最近占星術の講座を受けているという。場所は西荻窪にあるという「ほびっと村」だった。「ほびっと村」のことは、雑誌「宝島」や、最近気になるデザインの美しい雑誌、「遊」の広告かなんかで見た記憶がある。判りやすい鳥瞰図的な案内地図が載っていて、このセンスがいいなと思っていた。

 

そういう流れもあって、一度「ほっびと村」へ行って見ようと思った。なんでも複数のお店やフリースクール(この発想も実に早い!)等が行われてるようだが、実のところは行って見ないとよく判らない。その当時の自分の興味は、その中のプラサード書店という本屋さんだった。

(右:当時のほびっと村案内図)

 


暑さも峠を越した夏のおわりだったと思う。地図を参考に再び中央線を西荻窪で降り南口に出て、そば屋さんの角を右折し最初の路地を左に行くと、縦長いビルが左に見えて来る。判りやすい。一階は八百屋さん、2階がレストラン、3階がフリースクール「ほびっと村」とプラサード書店。ビルの左側の入り口から階段を昇る。

建物内壁全体が、漆喰?のような手作り感あるホッとする感触。実に上がりやすい巾と勾配の階段だなぁ~と、まず思った。(この感じは、その後、時を経て訪ねて行っても思う)プラザート書店は、そう広くない、こじんまりとしたと空間だが、窓があり明るい感じだ。

  

          
           見たことない書店

 


まず、何より驚いたのが、本屋さん全体の圧倒的な斬新さだ。

1、柔らかく温かな照明下に、一般の書店では殆ど目にすることが出来ない専門書や個性的な小出版社の本、あるいは絵本や洋書や画集や写真集が、文庫や新刊単行本等、本の大小に関わらず同じ本棚に収まっている。

 

そういうことは、普通の書店では当時まず考えられないことだった。

2、それらの本が、全く独自のジャンル分けの本棚の中に収まっている。

 

大型書店は未だ少ない時代、書店はだいたいT販とかN販とかの取次ぎ社からの本の分類、例えば、「文芸書」、「医学書」とかを、そのまま本棚に反映しているのが普通で、(今もそういう本屋は多いかと思う)それが悪いというわけではないのだが、このプラサード書店は、そういう既成のジャンルには全く制限も影響もされず、何というか、次元の違う書棚の編集がなされていた。

「宇宙」とか「身体」、あるいは、「育てる」「食べる」等の、「動詞」で分けてあった記憶がある。おおまかにはほびっと村のホームベージ内、ほびっと村資料頁に記してあるように、自然食・有機農業・インド・ヨガ・太極拳・瞑想・東洋哲学・ディープ・エコロジー・ニュー・サイエンス・神秘主義等の本等があったと思う。時代は「精神世界」という言葉が出始めた頃だったが、今で言う、いわゆるセレクト書店を1978年、今から36年も前に、既にやっていたのだ!

3、独自に編集された本群は、これまた手作り感一杯の木製の本棚に収められてる。棚に触った時の木の感じが何とも心地良い。また(当時は)、両壁の本棚を挟む真ん中のスペースに、何と畳が一畳!座れる高さに設置してあり、そこに座りながら本を見ることが出来た。その居心地の良いこと!

4、店内の入り口のレジ空間の上の方には、ひょうたんで作ったスピーカーがあり、そこから、海外からいち早く輸入されていた環境音楽・瞑想音楽が静かに流れていた。(ヒーリング・ミュージックという言葉が未だない時代だ)この、ひょうたんをスピーカーにする、という発想が、自分は実に面白くて、失礼とか思いつつも、しげしげと眺めながら流れてる音楽に聴き入っていたのを覚えている。音は実にナチュラルでクリアーな良い音を出していた。

5、店内は、本・画集・写真集等に限らず、輸入版の音楽カセットテープ、カレンダー、等、精神世界全般の関連商品が、雑貨を含めて置いてあり、そう広くないが、夢のように先進的な楽しい空間だった。

…どのくらい居ただろう? 明るい空間の店内に日が傾く。 あっという間に時間が経った気がする。いつまでも本を見ていたい気がするが、また再来することに決めて、入り口近くの棚にあった、雑誌『遊』第1期バックナンバー、8号・9号「存在と精神の系譜」(上・下)他を買って帰ったのを覚えている。

レジには年上の男性の方がいて、(この方は「きこり」さんと言う方らしい、雑誌等には、そう紹介してあった)が、まだ東京に来て2年、シャイな自分は、特に何かを話す勇気もなく帰った。

 

プラサード書店(現:ナワ・プラサード)内の様子をどうしても紹介したく、ナワ・プラサードのブログにあった画像の使用依頼を、畏れ多くもメールで申し込む。すると心良く許可を頂いた。素敵な画像は、女性写真家渡辺眸さんによるものだそう。店長の高橋ゆりこ様、まことにありがとうございました。心より感謝申し上げます。

 

 

         プラサード書店の先進性

 


別冊宝島16 「精神世界マップ」(1980年、JICC出版) プラーサード書店も編集協力。
別冊宝島16 「精神世界マップ」(1980年、JICC出版) プラーサード書店も編集協力。

話はここで少し逸れるのだが、ネットもない1970代後半当時は、雑誌がパワーがあった時代だった。工作舎という出版社が、杉浦康平氏デザイン、松岡正剛氏編集で、未だに伝説となってる前代未聞の雑誌『遊』、朝日出版からは、同じ杉浦康平氏表紙デザインの月刊思想誌『エピステーメー』、平河出版から横尾忠則氏表紙デザインの季刊誌『The Meditation』、はたまたパルコ出版は『ビックリハウス』、JICC出版局(現・宝島社)からは、月刊『宝島』以外に、新しい時代を感じる 『別冊宝島』等、面白いと思える雑誌が多かった。

つねに斬新な思考とアイデアが満載だった工作舎の『遊』が、(たぶん日本初の)「動詞」のコンセプトで雑誌を編集し始めたのが、『遊』第3期の第1冊目、 特集「舞う」で、1980年11月の発売だ。それに先立つこと数年前に、いち早く「動詞」で本棚を独自に編集するというセンスは驚異的に新鮮!ヒッピー・カルチャーの先進性に唸った。


当時は、西武資本華やかりし時代だったので、渋谷と池袋の西武百貨店内の西武ブックセンター内に、詩の専門書店、「ぽえむ・ぱろうる」(池袋)、「ぽると・ ぱろうる」(渋谷)と、あと、芸術系の専門書店「アール・ヴィヴァン」があり、それぞれ先進的で「さすがTOKYO !」という感じだったが、それ以外でセレクト書店というのは、古書店は別として無かったと思う。

 


         ほびっと村~ プラサード書店の歴史

 


ほびっと村資料頁「プラサード書店から、ナワ・プラサードへ」や、『アイ・アム・ヒッピー』の、153頁脚注にも詳しく紹介してあるが、ここは、自分なりに理解しておきたいので、稚拙ながらも書いて見る。

1976年、東京、西荻窪駅近く、4階建てビルの3階までを共同で借り、1階が、有機野菜の八百屋さん「長本兄弟商会」、雑貨屋(その後、木工、店舗内装)の「ジャム・ハウス」2階が、喫茶レストラン「ほんやら洞」(その後、「遊々満月洞」~ 現在「バルタザール」)3階に、大人を中心に学び合うフリースクール「ほびっと村」と、プラサード編集室(その後、プラサード書店」現在「ナワ・プラサード」が出来る。

それぞれが有機的に協力し合う関係は今も続いていて、誕生以来38年も経った今も、地域や市民社会から支持され続けている。さらりと書いてしまったが、これは非常に希有なことでスゴイことだ。文句なく日本に於けるカウンターカルチャーの拠点であり、「聖地」と呼んでも良いかと思う。

何より画期的だったのは、「長本兄弟商会」さんの、日本初の有機野菜の八百屋さん。今でこそ全国にオーガニックな八百屋さんは存在するが、1976年の時代にそれをやるのは、まさにパイオニアである。この卸部門がネットワークを作り、無農薬野菜が全国に広がるきっかけを作ることになった。現在、マクロビオテックとか、ビーガンとか言ってる人たちは、この聖地を一度訪れておきたいところだ。


1977~8年頃、国立、富士見通りで、リヤカーに野菜を積んで、行商されてるヒッピー風の人たちを見かけたことがあった。違っていたらゴメンナサイなのですが、あれは、「長本兄弟商会」さんたちではなかっただろうか?

 

この「長本兄弟」さんたちは、米国西海岸での精神文化の生活経験があり、帰国してこれらを始められた…という文章を何かの本で読んだ記憶がある。上野圭一氏の本ではなかったか?と思い、『ヒーリング・ボディ』(サンマーク文庫)を再読したが、そんな箇所はなかった。一体何で読んだのか? あるいは思い違い? 記憶には少々自信がある方だったが、それは思い上がりだったと最近気付きはじめ、また少し謙虚になる。


1975年、その当時「部族」とは別に、全国に拡散点在していたコニューン運動をネットワークすべく、「ミルキーウェイ・キャラバン」という企画が起き、沖縄から北海道まで、多様な企画やイベントを開催しつつキャラバンが動いたらしい。その行動から、全国的なネットワークと情報の共有化の必要性が出て来て、ビル共同運営の企画が上がり、最終的に先述のお店と、高度経済成長とは違う全地球的な生き方を提案する本の編集室として、プラサード編集室が出来る。

故・山尾三省氏、おおえまさのり氏、星川淳氏 そして、初代プラサード書店の店長であられる、槙田きこり氏等が中心となる。(今思えば、日本のカウンターカルチャーの錚々たる重要な人物が関与していたことになる。)その編集室が移転し、その空いた部屋にプラサード書店が出来たようだ。

「プラサード」とは、サンスクリット語で、「神様への贈物」「神様からのギフト」「人が神になる」等の意味で、故山尾三省氏が名付け親。1994年4月からは、「ナワ・プラサード」となる。「ナワ」とは、サンスクリット語で「新しい」の意味だそう。


東京を離れてから随分経つが、時々上京した折りには、ここを訪ねる。1990年代には、ここでしか見たことない、全生社の野口晴哉氏のロングセラー文庫本「健康生活の原理」等を買ったのを覚えてる。今はネット環境になり多様なものが通販で入手可だが、やはり、機会があれば、いつでも訪れて見たい貴重な場所である。

(つづく)

 

 [ほびっと村学校かわらばん]大判のとても手触りの良い紙に、毎月楽しく為になる情報がアナログ感一杯に紹介されている。捨てるのが何となくもったいなく、いつの間にか各時代のヤツが集まった。HPで申し込めば郵送でも入手可。詳細はこちらへ。

   image BGM:「指輪物語 ~ Into The  West(2003)」

「ほびっと村」は、英国のファンタジー作家、J・R・R・トールキンの『ホビットの冒険』と、続編『指輪物語』に登場する、心優しい人々が住む平和な村に由来してる。当時は岩波書店の児童書でしか、その世界を知り得なかったが、映像不可能と言われた物語も2000年代、見事に映画化され身近になった。

 

 

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