今年が終わってしまう前に

惑星ハシグチ、晩秋の訪問者。

111226(月)晴れ あっと言う間に今年も最後の週になってしまった。

3.11東日本大震災があり、福島原発放射能漏れ事故があった年と、今後永く人々に記憶されるだろう今年は、同時に母の介護と逝去の年だったと、自分には刻印されて行くことだろう。だが、それ以外にもささやかだが見落とせない出来事もあった。今年が終わってしまう前に記しておきたい。

 

 

111116日(水)晴れ どんよりした天気が続いていたが、珍しく快晴になったこの日、東京から惑星ハシグチへの来訪者があった。訪問して頂いたのは、東京杉並区にお住まいのIさんだ。

 

全ては後で知ったのだが、Iさんはネットサーフィンしていて、私のHPに辿り着かれた方だ。今を去る事2年前頃だったと思う。東京からお仕事で佐世保へ来られたのを切っ掛けに、「佐世保」、「減農薬米」、「有機」、「お米」とかのキーワードで検索していたら、拙HPのブログがヒットしたらしい。

 

Iさんは、以前、体を壊されたこともあり、体に良い食べ物に凄く関心をお持ちだった。昨年は、私共お米プロジェクトが作ったお米を沢山買って頂いた。惑星ハシグチ米は、思いの他好評だったのだ。

 

Iさんとの折々のメールは、食べ物のみならず、Iさんが住んでおられる街にある、ホビット村の話から、60年代カウンターカルチャーから、東京中央線文化から、全共闘から、宗教から、ユダヤの美術から、SF作家、アーサー・C・クラークから、管理社会のことから、地域共同体のこと、そして原発のことなど多岐に渡った。そのいくつかは、自分が話題を振ったのだけれど、ちゃんと話が帰って来る。そのあたりが只ならぬ人、Iさんだ。

 

仕事で海外へもお出かけの御様子で、メールには、スリランカや、オランダ、或は、アメリカ東海岸の話が出て来たりもした。また、3.11以降は被災地へも行っておられる。お仕事絡みもあるとはいえ、自在な行動力をお持ちだ。そして超多忙のご様子なのに一字の間違いもない端正な文章のメールを頂く。自分は返事に誤字がないか、何時もビビリまくりだった。(それでもあるのだけれど)いわゆる世界を股にかける優れたビジネスマンというのは、こういう方のことを言うのだなぁ〜とか思っていた。

 

佐世保から敢えてバスで来て頂き、地元の「◯橋」という、「トトロのバス停」をチョット思わせる、小さなバス停で初めて対面したIさんは、笑顔がめちゃくちゃ良い、思ったよりは若く、自分の兄くらいの年齢、と言う感じの方だった。

 

ひとまず自宅にご案内。「えっ、何処までがストレンジさん宅の敷地なのですか?」自宅に接してる畑や林があるので、思わず、そうおっしゃられたのだと思う。田舎では珍しくないのだが、確かに都会の方には吃驚かもしれない。マンションのドアの外の通路は共同の土地だし、土がある土地を所有するなんて稀なことだから。

 

次にお米プロジェクトの田圃に案内した。今年はお米作ってないので牧草地となっている。草が刈り取られた跡がある田圃に実際入って見る。遥々お米の古里においでになったIさん、どんなことを思われたことだろう…。

お米プロジェクトの田圃を撮影されるIさん。快晴の日で何よりだった!
お米プロジェクトの田圃を撮影されるIさん。快晴の日で何よりだった!

 その後は、そこから少し坂道を登り、「惑星ハシグチ」の主な領域を、一周歩きながらご案内させて頂く。幸運なことにK子さん宅の前を通った時、K子さん宅のMおばさんが、外の木陰で、藁(わら)を鋤(す)く作業を座ってやっておられた。TVでよくあるこういう場面はやらせっぽいが、全くの偶然だ。

 

Mおばさんは、毎年暮れに地域で行われる、「締め打ち」という地域の聖域に飾る注連縄の元になる藁を選んでおられたのだ。子供の頃から知ってるMおばさん に、Iさんを紹介し、Iさんにおばさんを紹介する。自分はこの御二人にお互いを紹介してる時、チョット感動に似た喜びを感じた。 天気は珍しく快晴、小春日和の木陰で、夢のようなひと時だった。

Mおばさんと会話されるIさん。おばさんも丁寧に対応して頂き、感謝!だった!
Mおばさんと会話されるIさん。おばさんも丁寧に対応して頂き、感謝!だった!

  その後も惑星ハシグチのメインストリート、(と言っても数件の家が点在してるだけなのだが)を、途中にある聖域の云われを説明したりしながら散歩。そのあたりでIさんから、

 

「“惑星ハシグチ”って言う呼称は、村のひとたちは知ってるの?」、と尋ねられる。「いやぁ〜、たぶん、殆どの方が知らないと思いますよ、だって自分が勝手に付けて呼んで遊んでるだけですから〜あはは。 ほら、宮沢賢治だって、近所の北上川でしたか、あそこを、“イギリス海岸”と呼んでるではないデスカ。あれ程の素晴らしいネーミングセンスはないけれど、それにあやかったつもりデス。自分がここを、“惑星ハシグチ”と呼ぶ事で、何ということもない寒村が、何か別の宇宙的な視座の中の場所に見れます。それが楽しいのです。 一人善がりすぎてますがね。だって何もないので想像力で楽しむしかないのですよ、あはは。」

 

「そういうのって子供の頃よくやったよね…」Iさんは、心持ち何処か遠いまなざしで何げにそうおっしゃる。「そうかぁ…、そうなんだ、そういうところ、子供っぽいんだ自分は…」もう50代のオヤジなのに、自分は確かにそういうところがある。そういうのは(上手く言えないけれど)、厳しい現実を生きるのに必要な知恵と力とかと、折り合うのが難しい領域、という気がしないでもない…。

 

 

許された時間はあっと言う間に過ぎ、Iさんを夕方の博多行きの電車の乗せるため佐世保駅まで車で見送った。Iさん来訪のことを、ブログに書こうとした頃から母の容態は悪くなって〜現在に至り、ついぞ、書くタイミングを失っていた。それは、介護の合間に生まれた奇跡的な午後の出来事だったのだ。

 

 

葬儀の後、暫くしてIさんから贈物が届いた。パウル・クレーの天使のカードに丁寧なメッセージと、あのホビット村の、無添加、オーガニックな紅茶やお菓子などが入っていた。心から感謝だった!

 

Iさん、どうもありがとうございました。遅れましたが、どうにかブログ書かせて頂きました。また、いつかおいで下さい!

 

本日もご訪問ありがとうごさいます。それでも良い事がありますように!

 

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