墓を掃除する-1

初冬の山間の墓掃除にはAMラジオの音が良く似合う。

111207~8(水.木)曇り晴れ 自分の家の墓の掃除をやる。納骨は来年1月14日なのだが、その前までに墓を綺麗にしておこうと思っている。

前)暫く行ってなかったので樹木が伸びている。
前)暫く行ってなかったので樹木が伸びている。
後)何とか剪定する。
後)何とか剪定する。

都市で生活していると、お墓は霊園、という人が多いかと思う。霊園は近郊にあれば良い方で遠くにある方も少なくない。遠すぎて、或は多忙でお墓参りもままならない、というのが普通だと思う。

 

日本の地方が全てそうとは言えないと思うが、地方ネイティブ住民、つまり、その地に代々家があり、幾ばくかの土地も管理している人の場合、お墓は、たいてい家からそう離れていない場所に在る。その地域の共同のお墓だったりもするが、個人で所有してる方もいる。

 

自分の家のお墓もそうで、家から徒歩3分の場所に自分の家だけの墓がある。その隣は自分の家の畑でもある。なので、そこの畑仕事の時は何時も墓参りが出来る。あまりに近いのでその有り難さに対してマヒしているところもある。お墓は日常の風景の一部なのだ。

 

墓掃除、自分は昔から携帯ラジオを持って行く事が多い。地方の片田舎、FM電波も山間部の為、良く入らないこの地域ではAMを聴く。情報が過剰に溢れている都市空間では、それに追い打ちをかけるようなAMラジオなんてさらさら聴く気がしないが、日本の山間部、初冬の平日の午後のお墓には、AMラジオの輪郭の丸い柔らかい音波が良く似合う。

 

時にラジオを消し目を閉じると、少し先にある佐々川のせせらぎの音、北西からの風の音、枯れ草が擦れ合う乾いた音、時々舞う上空のカラスの鳴き声、そして自分の呼吸の音しか聞こえない。ラジオの人口音が聞こえるくらいの猥雑さのバランスが自分は好みだ。

 

これで、あの、「吾亦紅」とかが、ラジオのスピーカーから流れると、まるで歌の世界になってしまいソウ。しかし自分の場合はそうでない。あの歌の気配では、母親と、かなり疎遠にしていた人が懺悔の念?ともに山里の故郷のお墓を参る…という感じだが、自分は自分がやって来た母の介護に、全くというと嘘になるが、殆ど後悔がない。やるべき事やれる事を、その局面局面に於いてほぼベストを尽くした感がある。やり終えたという達成感すらある。

 

なので、墓掃除も介護の最終作業という感じでやり遂げたい気持ちだ。その流れから考慮すると、この墓掃除、暫くここに来てなかったせいもあり、少しづつやって2、3日はかかりそうだ。晴れると日溜まりになって作業も気持ち良い場所だが、冬空はそういう日ばかりではない。暖かく晴れる日が続くことを素直に願う。

 

本日もご訪問ありがとうございます。それでも良い事がありますように!

 

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