母、旅立つ。

未だ実感湧かず

111121(日)晴れ 夜、11時03分、母が入院先の佐世保市立総合病院で、兄、姉、と自分の、3人の子供たちに見守られながらこの世を旅立った。行年81才だった。

通夜と告別式が行われたベルホールSAZA。明るい感じの所で生花の装飾も綺麗だった。
通夜と告別式が行われたベルホールSAZA。明るい感じの所で生花の装飾も綺麗だった。

その日のお昼、福岡から駆けつけていた兄と共に、夜中に病院で葬儀の手配をとる。地元の2件ある会場に電話する。どれも埋まってると予想外の返事。背中にたらりと汗が。調べると数日後の24日が友引。その前に式をと思う人たちが多いのだ。急遽、隣町の会場に問い合わせる。幸いにも空いていて、なんとか場所を押える。それからお寺に問い合わせる。このところ地域では葬式が多いので、住職も一日に沢山の法事を抱えている様子。だが、なんとか時間を調整してもらい、葬儀の骨子が出来る。兄と胸をなで降ろす。

 

しかしほっとするのも束の間、経験された方はお判りの通り、遺体を家に連れて帰し葬儀屋と朝まで打ち合わせ、お通夜を22日に行ない23日に葬儀(初7日も合わせて)、その後にはこの地域で伝統的に行われる『慰茶湯(いざと)』という、地元の方々との宴を自宅で。さらにはその後の忌明けの準備など、怒濤の一週間を経て今に至っている。

 

 

 

亡くなる一日前の11月20日(日)、休日とあって空いてる道路を、いつものように車で病院へ行き、いつもより空いてる駐車場に入れ、いつものように8階東病棟の母の部屋に行くと、母は血中酸素が低下していたのか酸素マスクをしていた。酸素マスクをすることはこれまでもあったので、そう驚かないのだが、母は昨日までの安定していた様子と違って、眠っているが少し呼吸が苦しそうな気配。肌の色や全体の感じから自分は「この人はそう長くない…」と直感。即、東京に居る姉と福岡に居る兄に連絡。

 

アドレナリンが体内を回る自分とは関係なく、休日の病棟はいつも何処か長閑な時間が流れている。「今日の日本シリーズは、どかんやろかぁ〜、ホークス久し振りに勝つばいね?〜」待ち合い室のTVの前では、いつもの爺さんたちが、点滴のぶら下がったキャスター付き移動棒を持って陣取っている。「…そうか、今日は日本シリーズ最終戦なんだ…」野球にそう熱心ではない自分だか、それでも長く福岡に居たので、博多の街でのホークスの熱気は知っている。それは街を上げての相当なものだ。福岡はつくづく幸せな街だと思う。

 

そんなことを何故か思ってるところへ、主治医のS先生が、幾分固い表情でおいでになった。ナースステーションの空いてる席で、母の様子が急変しつつあることをゆっくり静かに話す。近しい方には知らせてた方が良いことも。

 

予想はしていたが、言葉を聞いた時、時間の流れが一瞬、柔らかくゆっくりになった気がした。自分はこの方の何処か人懐っこいビーグル犬のようなやさしいお顔を見つめながら、何故ビーグル犬なのだろう?と、場違いなこと思いつつ、主治医の言葉を牛のように反芻していた。

 

信頼出来る主治医の判断のお陰で、亡くなるまでの一両日に、連絡した親戚や仲の良いお友達と大切な時間を持てることが出来、それほどには苦しまず、自分たち子供3人に最後までしっかり見届けられて向こう側に行けたのは、母にとっては幸いだったのでは?とは思っている。

 

 

 

…沢山来ていた親族の殆どは帰り、今後の法事予定の設定、その他の事後雑事を、現在、姉と共にやってる。姉が東京に戻り、名実ともに自分一人になった時、母の偉大さがいやがおうでも判るのだろうと予想している。

 

数年前に話題になり、ドラマ、映画化された本、『東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜』(リリー・フランキー著/2005年)、既に母が今に至る難病であることを知りつつあった自分は、この本を、自分と同じ九州北部、同じような昭和の炭坑町育ち、同じような大学を目指す主人公ということで興味深く読んだのだが、その中に、「男は母親を亡くして一人前」という台詞があったのを覚えている。たぶん、そうなのだろうと思う。未だ自覚はないのだが…。 遅れましたがご報告まで。

 

本日のご訪問ありがとうございます。それでも良い事がありますように!

 

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コメント: 4
  • #4

    planetary-n (木曜日, 08 12月 2011 23:53)

    SAYUさん、お久し振りです。母へのお言葉、まことにありがとうございます。母と良く、色んな話をされてましたね。母はSAYUさんとお話する時、いつも楽しそうでしたよ。自分が経験して来た何かを、若い人に伝える良い機会だったのかもしれませんね。

    また、病院へもお見舞いに来て頂きありがとうございました。2009年~2010年の「お米プロジェクト」を、母を囲んで他の友人と共にやれたのは、本当に良かったと思っています。ご縁に心より感謝致します。

    供養の行事が、まだ、今後も毎土曜日ごとに暫く続きます。納骨もある為、お墓の掃除もしなくてはで、まだ、何かと雑事に追われてます。

    落ち着いたらメールしますね。そうそう、以前話していた映画『降りてゆく生き方』が、とうとうこの近所、平戸で、上映されることになったようです。来年、1月7日です。詳細はネットで調べてね。

    自分は2年前くらいからこの自主上映、気になっていました。今年春、福岡で上映があり、行こうとしたら、3.11になり、8月のお盆の最中に鷹島で上映されましたが、初盆参りで行けずじまいでした。

    こんなに思わせぶりに書く程、良い映画がどうか判りません。また、「上って」もいないのに、「降りてゆく生き方」もないだろう、「降りっぱなしの生き方」なら判る気がしますが(笑)、ひとまず観に行く予定です。

  • #3

    sayu (木曜日, 08 12月 2011 07:58)

    久しぶりにゆっくりパソコンに向かい、
    お母さんが旅立たれた事を知りました。

    普通の生活を送る名もない人の中にも、世界に名の知れた偉人達に負けない智慧がある事を、行動を通して教えてくれたお母さんだったと思います。
    もうお会いしたり、お話しを伺う事も出来ないと思うと寂しいです。
    わたしもいずれはお母さんが行かれた所に向かうのですが、それまでの間、ちゃんと想う事を行動にうつす人であろうと思います。お母さんがされていたように。

    Nさん、お母さんのお世話、お疲れ様でした。お母さんはほんと、お幸せでしたね。
    まだまだ落ち着くのに時間がかかるかと思いますが、どうかご自愛を。



  • #2

    planetary-n (木曜日, 01 12月 2011 19:42)

    sasorizaさん、母へのメッセージありがとうございます。心より感謝します! それから、ご香典をお送り下さり、大変恐縮であります。本日届きました。

    落ち着いたらまた、そちらへ伺いますので、どうぞよろしくです。12月になったら一気に寒くなりましたね。sasorizaさんもご自愛下さいね。お気遣いありがとうございます。

  • #1

    sasoriza (木曜日, 01 12月 2011 15:31)

    ご愁傷様でした!
    ただ一人のお母様無くされて寂しく成られた事と思います、子供三人に見守られて、天国え召されたのはお母様にとって幸せだったでしょう!百ヶ日までは気が張りつめてますので、その後倒れないようにして下さい。
    これから寒くなるようですから風邪などひかれないように注意した下さい!