西海市「パオ」にて聞くリアル。その2

福島市飯館村の自然農業家、村上さんのお話2

 

        美しい高原の「までぃの村」

 

村上さんとはまた別に、地震以前からの福島市在住のメル友Yさんより、教えて頂いていたのだが、福島県飯館村は、人口6千人。阿武隈山系の高原に開けた村で、『までぃ』の村として有名だったようである。『までぃ』とは、丁寧に、心をこめて、手間ひま掛けて、たっぷりと時間をかけて、などを含んだ地元の方言だ。

今日よく話題になる、スローライフを実は昔からやっていたことになり、「までぃな村作り」を村の理念として掲げ、合併もせず自主自立の村作りを選択。「日本でもっとも美しい村」(2010年で全国39町村)の会員の村でもあったらしい。つまり、小さいながらも、ピリリと個性ある、先進的な美しい村だったようだ。

美しい飯館村のスライドとともにお話される、村上さん。
美しい飯館村のスライドとともにお話される、村上さん。

3月11日の午後、村上さんは、その美しい村にあるご自宅におられ、農家民宿用に作って来たバンガローの、所謂「棟上(むねあげ)」の日だったようで、最終チェックの為に棟に登って作業をしていたそうだ。

その時、今回の地震はやって来る…。このリアル描写は、村上さん宅のHPの、3月11日という村上さん自身が書かれたファイルに詳しく、ここで自分が話すよりそれを御覧になられた方が、より判ると思いパスしたい。そう長くもないので、皆さん是非どうぞ。


以下、そのファイルを読まれた、という前提で書き進めマス。

 

村上さん一家は、3月13日という早い段階で、9年かかって築き上げて来た、自然農園、自然食レストラン、石窯 農家民宿によるエコビレッジ・コミュ二ティ構想の一切を捨てて、ご縁を辿って避難する決意を短時間で決定された。

避難決定の最大要因は、この原発事故以前から反原発の活動に関わっておられ、原発についての知識を持ち合わせておられたこと。そして小さいお子さんをお持ちでいらっしゃったことだ。飯館村がチェルノブイリの再来となる可能性を予見されていたようだ。

村上さんのファイルを読むと判る通り、1、日頃の交流のたまものか、デマでない有益な情報を伝え合うネットワークをお持ちでいらっしゃったこと。2、自供自足的暮しを実践しておられ、取り敢えずのサバイバル環境に強かったこと。3、停電になった際、情報の確保、明かり等の為、車のバッテリーから非常用に電気を取る手段を知っておられたこと。4、友人、ネット等から、正確で有益な情報を読み取り、自力で判断する力を持っておられた事。これらは今後どなたでも何か参考になるのでは?と思う。

異常事態が刻々と変化する中、大変な人生の岐路を短時間に判断し、避難という行動に移された話だ。九州人だったら、それはそれは、感情タップリのオーバーアクションで、話もオーバー気味に「凄かったとですよぉ〜」とか話されそうな内容なのだが、そこは、何処までも穏やかで誠実で冷静。淡々とさえ、お話になる村上さんであった。東北の方の、底力のようなものを感じた次第だった。

 

        突然、村上さんが側にやって来た!

 

パオ特製、こだわり食材のマクロな食事、美味!
パオ特製、こだわり食材のマクロな食事、美味!

質疑応答があり、その後、パオ特製 の、マクロビオテックのヘルシーなお食事を食べ始めた時だったと思う。

 

突然、村上氏が、私共のテーブルにお見えになった。しかも、私の左隣に座られた!「こんばんは、ここ座ってよろしいですか〜」「ガピーン!わぁ〜、どうしよう! はい、ど〜ぞど〜ぞ!」ったく、いやはや! これはもう、色々村上さんにお話を聞けということと解釈。テーブルを挟んで相席していたSayuさんとともに、村上さんを拉致状態(笑)にして、思いつくまま質問しまくった! 

 

 

          村上さんに聞きまくる!

 

 

      以下、S(ストレンジ・N) (村上さん)

S:「自分の住んでる所もいわゆる中山間地で、イノシシやハクビシン、またマムシ等がいるのですが、飯館村ではどうですか?」
村:「マムシはいませんが、他は全部いますよ、キツネもいます。なので、電柵をしてます」
S:「ご実家は生産農家でいらしたのですか?」
村: 「ええ、そうです。農家の息子です」
S:「私もそうです!兼業農家でしたが。農家の息子は、親が農家で苦労してるのを見て育つので、農家だけはなりたくない!(笑)とかいう気持ちになりませんでした?」
村:そういう人は多いです。無理もないと思います。ですが、私は父が70年代に有機農業を始めましたので、その方向の学校に行きました。三重県にある全寮制の所です。
S:「今回はそのご縁で三重県に…」
村:「そうです、今は私たち以外の福島からの避難者も来ています」
S:「若い時に一気に、NGOのような、海外援助協力の世界に入られますが、一体何がそうさせたのですか?」
村:「家がキリスト教だったもので、その関連の、とある方(名前失念)の書かれたもの等の影響がありました」
1980年頃、エチオピアとかソマリア(だったと思う、違うかもしれない)とか問題になりましたでしょう…」
S:「はぁ…そ、そうでしたね〜(実は、そういうことに、当時は全然、問題意識がなかった自分だ、汗!)」
S:「ところで、50代初めくらいとお聞きしましたが…」
村:「52才です」
S:「げっ、自分も52才、昭和34年生まれです。何月生まれですか」?
村:「◯月生まれです」
S:「あちゃ〜同じです。何日ですか?」
村:「◯日です。」
S:「うぎ〜、4日違うだけだ〜」
村:「うわ〜、そうですか〜、色んなところで話しますが、初めてですよ〜、同年代の方は、しかも、同じ月で誕生日も近い…」

その後、しばし、同世代だけに通じるコアな話を少し。同じ年、同じ月生まれ、誕生日も4日違うだけで、(村上さんが4日兄貴だ、笑)かたや、地球的視野をお持ちの、りっぱな自然農業家、かたや、何だか訳ワカラナイ怪しいオヤジ? こうも違うものかと、人生の過ごし方をまざまざと見せつけられた瞬間だった。もう〜、ゴメンナサイ!なのである。気をとりなおして、また質問。

S:不躾な質問で恐縮ですが、今後、どう〜、人生を展開される予定ですか?(本当に失礼な質問だ。村上さん、ごめんなさいです!)
村:「う〜ん、正直まったく考えてないですね。しかし、これまで培って来た延長にある今、目の前にやるべき事があるので、それを、ひとつひとつやって行きたいと思います。それらが、何か何処かへ繋がっていくと思ってます。今は被災地の現状を紹介し、そこを応援することが自分の役割だと思っています」

 

S:九州の西果てとかに居ましたら、正直、全てはTV画面の中の出来事、スーパーで一時期、乾電池や水がなくなった以外、リアルな大変さを体感していない。そういう私たちに向かって、今、一番主張したいことは何ですか?
村:(真剣にゆっくりと)「飯館村で起こったことは、今後日本全国、何処でも起こり得ます。特に、ここ長崎県北部は、近くに玄海原発があります。そのことを真剣に考えて行く必要があります。原発を何が何でも停止する方向へ皆で力を会わせる必要性がありますね…」

 

 

           村上真平さんに会ってみて

 

 

「原発をまず、知ることから始まります」
「原発をまず、知ることから始まります」

別れる時 は握手をさせて頂いた。そう見えないが、凄く力強い握手が返って来た。同年代、同じ月、誕生日も近いとあって、かなり、考えさせられる休日の夕べだった。

 

すごく軽いイージーな気持ちで来たのに…。最初に御紹介した村上さんのプロフィールは、実は帰って来てから知った。頂いたフライヤーに書いてあったものだ。その凄い経歴を知って再び愕然としたものだった。

 

村上さんが、インド、ガンジー・アシュラムへ旅立たれた1982年、自分は、早くも人生に腐っていて路頭を彷徨っていた。いやはやである。今日の出逢いを無駄にしない為には…ひとまず、ブログに書く事にした。

 

村上さんのご友人グループが福島県南相馬鹿島区で津波で家を失った人たちの仮設住宅で、ボランティアをやっておられる。それによると現在、野菜が不足して困ってるとのことらしい。そこで、村上さんは「野菜プロジェクト」を始められた。野菜など、ない、あなたにも出来ることがアリマス。詳細は下のPDF、村上さんの案内を読んでもらえると嬉しい。

 

本日もご訪問ありがとうございます。それでも良い事がありますように!

 

「野菜プロジェクト」の詳細
村上真平ファイル1.pdf
PDFファイル 561.8 KB

 

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コメント: 1
  • #1

    Ethan (日曜日, 22 7月 2012 20:10)

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