梅雨空の下に思うコト。

見える世界は見えない意識の反映である。

110707(木)曇り 今年の梅雨は、文字通り雲が低く垂れ込める梅雨空が多く、雨も半端なく降る。昨晩など一年分の雨が降ったのではないかと思わせる程の雨音だった。

あたりは深い霧で蔽われることが多い今年の梅雨。この方角30km先に玄海原発がある。
あたりは深い霧で蔽われることが多い今年の梅雨。この方角30km先に玄海原発がある。
手書き葉書で、具体的な行動に出る。
手書き葉書で、具体的な行動に出る。

今週に入ってからか、ここから30km東北にある玄海原発が、再稼働するというニュースがあり、愕然とし、情けなさと怒りがあった。

 

単にブログで批判するのは、今日最も安直だ。それは避けたい。

 

なので、具体的な行動をとった。佐賀県知事と玄海町長宛に玄海原発の再稼働をしないように要望する主旨の葉書を投函した。住所はネットで調べた。投函して判ったのが、昔のラジオ番組ではない、音楽リクエストのように沢山書いて送る訳ではないということだ。一人で知事と町長それぞれ一葉ずつだ。それでひとまず自分の分はおしまい。自分の名前はちゃんと書き、住所は町まで書いた。

 

中一日おいて今日、新聞やニュースを見ると、知事は再稼働を延期し、町長は再稼働了承を撤回した。ほらネ〜! やっぱ、自分が動かないとね〜(笑)、自分の葉書が2人をそうさせたのだ(モノスゴイ思い込み!笑)。

 

 

その、脱原発と脱梅雨の(並列に置くか?)願いを込めたブログ、この九州北部を蔽う重い気配と、長く続く梅雨空をブッ飛ばすようなカッコイイ曲の紹介とともに書こうと思っていた。

 

すると、そのカッコ良い曲、日本のプログレバンド、美狂乱

(ビキョウラン)の『サイレント・ランニング(1983)』は、それまで、「YouTube」にシュールな絵画のスライドショーとともにUPされていたのに、自分がブログにて紹介しようと思った矢先、ナント!削除されてしまっていた! 確か一昨日までは見れて聴けた。これは陰謀か! ともかく、これが自分にとっては非常に残念!(時々そういうことがあるようだが、別に削除しなくたって良さそうなものだがと思う)

 

旧友Messershmittクンが、以前教えてくれた曲なのだが、知ってる人はお判りのとおり、スピード感、展開、構成、申し分ない曲だ。その曲が紹介出来ないが故に、原発ブログをボツにしようと思っていた。日本の「キング・クリムゾン」と呼ばれるに値する高度な実力のあるバンドだ。上記の曲には敵わないが、この曲で、その片鱗は伺うことは出来る。

 

 

精神世界では、目に映る世界は我々の内なる意識の反映と捉える事が多い。起こってることは自分たちの何かが反映したものというわけだ。そういう意味では放射能も私たちの何かの反映と言える。だとした一体何なのだろう。

 

誤解を怖れず仮説を立てると、精神や魂といった、言わばイデア的なものから乖離し、あまりにも物質中心世界を偏重した昨今の自分たち人間の意識の反映なのかもしれない。

 

物質中心世界と資本主義は勿論無縁ではない。では、その資本主義はどうやって始まったのか? 元を辿ればユダヤに行き着くと思う。ではユダヤをそうさせたのは何なのか?

 

自分たちが、もう一度、イデア的世界を復活させ、モノが単なるモノではないことを知り、世界は分離してはいなく、全てのモノの根本である素粒子の本質が何であるか、何時か理解出来た時、放射能は人間に無害になる。のかも知れない。少なくとも自分はそう思いたい。

 

   ブログBGM:『原子心母』(抜粋)/ Pink Floyd (1970)

本日もご訪問ありがとうございます。それでも良い事がありますように!

 

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コメント: 6
  • #6

    Edgar (月曜日, 23 7月 2012 12:36)

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  • #5

    planetary-n (日曜日, 10 7月 2011 22:24)

    (日曜日, 10 7月 2011 22:08)

    (日曜日, 10 7月 2011 21:56)

    ウェーブさん、いつも書き込みありがとうございます。お変わりありませんか?

    「山一つ越えたところに玄海原発があり、もしかしたら飯館村と同じようにどこかに移転しなければならなくなるかも知れないのです」

    山一つと言う程近くはないですが、山二つと少し、30kmくらいですね。確かに何かあったらもしかしたら飯館村と同じようにどこかに移転しなければならなくなるかも知れないですね。

    それが何か?

    「いくら「我が愛する故郷」などとわめいてもどうしようもない事態が発生する可能性があることです」

    誰が「我が愛する故郷」とわめいているのか私には判りませんが、確かにどうしようもないとしか思えない事態が発生する可能性があると思います。その重要性に気付いているかどうかは、 それは、このハシグチ村でもたぶん、人それぞれだと思います。


    ご縁があったのか、自分は福島市の方と、たまたま、この震災以前からゆるいメール友達でありました。震災が起こってからも、その方からのメールやその方の日記から、その方の目に映る被災地の県の、今の様子を有り難く教えてもらってるのですが、

    原発、放射能が生活全般に渡って影響を及ぼしていて、(時に今はホットスポットで)、昨今はその対応で、夫婦、家族、親戚 友人、地域関係で、意見が別れ、その関係性にヒビが入りそうなのだそうです。

    これは、現場でしか判らないリアルな情報ですね。想像力を使えばそうなのだと思います。原発、放射能についての知識も、TV、新聞のいわゆる情報統制され たマスコミだけの人と、ネット環境の人でも違うでしょうし、そこの場所で置かれてる立場よっても意見が違うことでしょう。

    これは、今後、何処ででも起こることだと思います。しょうがないと思います。結論から言えば、ともかく人様はコントロール出来ないので、そういう中、自分はどうしたいのか?、だけだと思います。

    TVを観てますと、運命で、その移転せざるを得ない村の人たちの話が出でますが、自分には、大変申し訳ありませんが、(石が飛んで来そうですが、)移転先まで、それまでの地域の共同体の関係を維持したい…、という方々の気持ちが殆ど判りません。

    殆どと書いたのは、そのムラから永く一度も出た事がなく、もう高齢になっておられる方は、そうだろうなぁ〜思うからです。それ以外の方には自分は全く判りません。

    濃厚過ぎる地域との関係性、土地のしがらみから解放される、千載一遇のチャンスではないか!!!と思ったりします。(笑、しかしマジです)

    世間では、本人の希望意志などと関係なく、あちこちに会社命令で、転勤し、人生めまぐるしく、住む場所を変えている人たちも多くおられると思います。せっ かく、慣れて来た町なのに、学校なのに、友人なのに、一枚の辞令で、また引っ越し…。そういう人たちから、最初の村の人たちの、様子を見たら、不謹慎かもですが、有る意味、ちゃんちゃら可笑しいのでは?と思います。

    とどのつまり、執着ですね。その土地に対するそれが強いのでしょう。それでもそこに留まりたい方はそうすれば良い。そうでない方はそのように。家族、兄妹、地域、色々あるかと思います。それぞれの持つ周波数に相応しい場所へ自然と行くのではと思います。

    自分はたぶん、転機のチャンス!と考えると思います。

    人気ありますが、沖縄、宮古島、石垣島とか憧れますね。他の地域に住む友人からのお誘いも幾つかあります。自分はこう見えても、何処でもそこでの自分の居 場所を確保出来る自信があります。貧しいなら貧しいなりにやれるものです。

    いつかは此の肉体さえ脱ぎ捨てますね。此の世のものは全て借り物です。執着が多い程、人は苦しくなるかと思います。

  • #4

    planetary-n (日曜日, 10 7月 2011 21:52)

    コメントが5000文字までなので、分けました。


    「私とは私以外の全て」とは、確かに大きくでました。自分でもちょと飛躍し過ぎでは?と思ってるところもあります。しかし常時ではないにせよ、時々確かにそういう状態になる時があるのです。長くは続かないのですが、もう〜、確かに、これが、そうなのだ、なんだぁ〜、私とは此の宇宙のことだったのだ!
    と、確かにその時は確信しているのでありマス(笑)

    宮沢賢治やF・カフカや、或はノヴァーリスや、ヘッセやゲーテやあるいはブレイクや、その他、霊的な変容を遂げた方はその時代時代では希有な存在だったかもしれません。

    ですが、今の時代は極く普通の主婦でも、或は小学生の子供でも、判る人は普通に判る時代だと自分は思います。たとえ、難しい言葉を知らなくても。そのくらい、世界はステージが、言うなれば「事象の地平線」が進化しているのだと思います。

  • #3

    ウェーブ (日曜日, 10 7月 2011 18:21)

    今日は二つ話題があります。一つはこのハシグチのわずか数十キロむこう、山一つ越えたところに玄海原発があり、もしかしたら飯館村と同じようにどこかに移転しなければならなくなるかも知れないのです。いくら「我が愛する故郷」などとわめいてもどうしようもない事態が発生する可能性があることです。ハシグチ村の人たちはそのことに気づいているでしょうか。もう一つはとても重要なことです。「私とは、私以外の全て」、なのだと(自分は)思います。と言明していますが、それは大変なことですよ。もしその意味を十分に自覚して言っているとすれば、もうなにも恐れるものはないですね。原発さえも越えているでしょう。そんなに早く悟っていいの、と言いたいよ。わたしもときどき、自分と言っているものが拡散して、世界と一体になるような気がすることがあります。しかし、それは一瞬のことで、すぐにえげつない貧しい自己に戻ってしまうのです。こんな自分なんて捨ててしまいたいのだけど、それが難しい。過去の人たちも大体同じように悩みながら生きたのではないでしょうか。賢治だってカフカだって、わたしの好きなモンテーニュだって、みんなそうだったんではないかなーと思うよ。ではまた。

  • #2

    planetary-n (土曜日, 09 7月 2011 10:13)

    SAYUさん、書き込み有り難うございます。いつもお世話になっています。

    私たち自身を構成している最小単位、素粒子は、波でもあり粒でもある、という、言わばオバケ、幽霊見たいなものです。月水金は波で火木土は粒で…と言った ような(笑)、そういうもので私たちは出来てる、という事実を、まず自覚する必要がありますね。実に不思議なもので私たちは出来ているのですね。

    それから、私と私以外の境界線は一体何処にあるでしょう? たいていの方は、自分の、この皮膚がその境界と思われるかもしれません。しかし、その皮膚の境目を電子顕微鏡で見ると、その境目は実に曖昧なのです。

    皮膚と呼ばれる方が幾分、粒子が密、というだけで、皮膚以外と、そう大差なく空間もスカスカなのですね。「私」とは、じつに曖昧な存在なのです。ここも押えておきたいですね。

    此の皮膚感覚の内側が私である、それ以外は私でない、という世界認識は、還元主義に於ける根強い幻想です。この幻想が皆をモノ側に転落させ、物質主義的世 界観を強力に形成してます。「自分だけが…」という認識を作ります。しかし、世界は実は、そうは出来てない。フラクタルでホロニックに出来てる、と思います。

    誤解を怖れずに言いますと、「私とは、私以外の全て」、なのだと(自分は)思います。(実感はまだ、伴ってないのですが)もうそろそろ、広い世界の中では、気付く人は気付き初めているのではと思います。

  • #1

    sasa (金曜日, 08 7月 2011 12:43)

    パチパチパチ!よくぞやってくれました。近隣はたまったものではありませんね。やらないよりまずやる!ですね。
    立読みした雑誌‘一個人’の仏教特集にも人間は流動する粒子の集合体みたいな事書いてましたが、四法印だかなんだか?チョット違いましたかね。難しい!