何も願わない手を合わせる。

藤原新也氏の写真と書展「死ぬな生きろ」

   転載自由の藤原新也氏オフィシャルサイトより。
   転載自由の藤原新也氏オフィシャルサイトより。

110228(月)雨  巨匠 藤原新也氏が、四国遍路88ヶ所を巡って撮った写真88点に言葉による書が付くという初めての個展が、東京銀座で明日から始まる(18日まで)。

 

★3月31日まで延長開催中デス!

 

近くだったら勿論行きたいのだけれど行けない。ので、せめてものご案内。行ける方、ご興味おありの方、足を運ばれて見ては如何? 人も多いとは思いマスガ…。詳細は東京銀座、永井画廊  または、藤原新也氏のHPのブログ参照。また、氏のHPにある(有名ですが)「Memento mori」も、やはり見ておきたいところ。

『死ぬな生きろ』は、同名本が昨年7月に出版(スイッチパブリッシング社)されていて、そのオリジナル写真+書展。以下、11/02/22 の氏のブログより転載。

 

「『死ぬな生きろ』の意は"自殺するな"ということ ではない。せっかく与えられた限られた命を全うに生きろ、という意である。生きた屍になるなということだ。それは何も"頑張る"ということではなく、肩の力を抜き、目の前にある世界を十分に感じ取り、この世に生を授かっていることの喜びを感じてほしい、ということだ。というのは私たちのこの世に滞在する時間は限られているからだ。その意味で今回の写真や書が目の前の"世界(この世)の感じ方"のヒントになれば幸いだ。」     

 

                                                                              藤原新也  

 

その行程の全部が終わった訳ではない、四国遍路より戻って来てから遍路に関する本を読みたくなった。あれこれ探した中で藤原新也氏の本に出逢う。『なにも願わない手をあわせる』 /(2003年)だ。それによると、氏は父母や肉親が他界するたびに氏流の四国遍路巡りをされてるらしい。本書は人の死や別れを描いた短文集だ。

 

四国遍路は、「納札(おさめふだ)」という薄い紙があり、その裏に亡き人の追善供養や成就したい願望等を書くことになっている。自分は一番寺霊山寺でそう促されるままに、亡き父と姉の供養、そして母の健康等を願望として書いた。(本堂と大師堂、最低2箇所は納めるので、88の半分行ったとして44×2=88枚、これだけの数を書くのは結構大変だったりする)

 

納める時は、書いた事を一応願うのだが、今後同じ寺に2度と(たぶん)行く事はないだろう…と思うと、そういう事よりその日その時、そのお寺に自分が元気で来れた事に感謝!という気持ちの合掌が、日を重ねるごとに強くなったのを憶えている。遍路にじっくり行ける機会は、人生でそうそう、ないと思うからだ。

 

氏は本書で祈りというものは広義の意味で自己救済を越えていないという。たとえ、近しい人の死の供養にせよ、その死によって波立つ自分自身の鎮魂も暗黙の内に意図されてるというのだ。氏は何時しか、その自己救済からも解放されたいと願い、巡礼の途中に出会ったとある幼女の祈りを前にして、

 

何も願わない。

そしてただ無心に手を合わせる。

 

というものに辿りつく。

これは、祈りのある種、理想の姿であり、氏でさえをも、そう思ったはいいが、遠い将来の為にそれは温存しておこうという。写真家としては巨匠である藤原新也氏の、何処か人間臭い側面が伺え少しほっとする。

 

藤原新也氏について思いつくことは、

 

1、1970年代の大型写真月刊誌『アサヒグラフ』で見かけた、「印度放浪」や、チベット、ラマ僧の写真。中でもチベットの写真は今まで誰も見たことない高地での秘教の風景で、当時小学生高学年だった自分でも大変な衝撃だったのを憶えている。空の色が黒いくらい碧く、空気が薄い感じがひしひし伝わりラマ僧の赤茶色オレンジ色の僧衣が眩しい。見てると何か魘されそうな光景の写真だった。そのくせしょっちゅう見ていた気がする。一人の芸大生が旅をして写真を撮って来た…とか書いてあった。

 

2、「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」という、衝撃の写真とコピーの、『メメント・モリ』(1983年)。改訂版が現在出ているが、金茶色の表紙の方を憶えている。自身も短歌を作り寺山修司と澁澤龍彦が好きだった人が自分に教えてくれた。

 

3、『東京漂流』(1983年)バブル期に進んでいく東京を冷静に鋭利に思索し見つめ、現在に至る閉塞する都市を既に予見している。金属バット事件等の写真があったのを憶えている。

 

4、EP-4(Earth Power 4)という、’80初頭に京都から出て来たバンドのLPジャケット2枚に藤原新也氏の写真が起用された。ライブを見に行った。

 

5、最近NHKの番組「私が子供だったころ」で、氏の少年時代、九州、門司港の旅館の息子時の様子があった。だし巻き卵を父から習う新也少年。この少年にこの父あり、というような凄みのある親父さんだった。

 

6、業界人でありながら媚びない硬派 。徒党を組まない一匹狼。カッコ良過ぎる。

 

何処かぼうと焦点がずれてるような写真はどうやって撮るのだろう…美しい色合いにはいつも湿度を感じ、何処か半分、彼岸のような印象を自分は抱く。あの世は何処か遠くにあるのではなく、この世と重なって存在してるのでは?とさえ思えて来る。文章を読んでの印象は自分は好きなのか嫌いなのか今いち良く判らないが、それらを越えていつも気になり続ける方だと思う。

 

本日も読んで頂きありがとうございます。良い事がありますように…!

 

 

コメント: 1
  • #1

    Ralph (月曜日, 23 7月 2012 18:40)

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