聖地巡礼 第5日目 ~ 四国遍路覚書9
100827(金)晴れ。この、土佐高知の宇佐町にある宇佐湾にせり出した「色見崎」での昨晩の満月の海辺の夜は、夜遅くには積乱雲が出て来たが、それまでは、あまり見たことない幻想的な光景で、私もRさんも感動しきりだった。
2人で、何時までも満月と海の水面を見ていたように思う。Rさんは何だか鼻歌を歌っていたようだった、Rさんはたいていいつも鼻歌を歌っていて機嫌がいい。生来の自然児なのか、特に自然の中にいるとても楽しそうだ。
時々、ふっと、独りの時間をお持ちになりたいご様子。察してそぉ〜〜としておく。お互い、本来、独りの時間を持ちたいタイプでもある。そうでなくても、つい先日、お姉様を亡くされたばかりなのだから…。
四国遍路五日目は、一日で四つの札所しか廻れなかった。高知県の最後に近い札所はそれぞれの距離が何十kmと離れているのだ。
五日目くらいになると、さすがに参拝する読経も、心を込めてやれるようになる。これまでが込もってないと言う訳ではないが、読経にある種の気合いのようなものが出て来る。
読経は、以下のような流れでやっていた。
線香、ローソクを上げ、納札箱に納札を入れ、お賽銭を入れ、鐘があればならした後、
1、合掌三礼 真言宗の長い数珠を右手人指し指に掛け反対側をひとひねりし、左手人指し指に掛け、合掌し数珠をすリ合わせながら、「うやうやしくみ仏をたてまつる」と唱えながら、三礼する。
(何故数珠をひとひねりするのか判らないが、「これってメビウスの輪ではないか?」と密かに思っていた。そして、この数珠こそが宇宙構造のひな形ではないか?、或はDNAなのでは?とかデス)
2、開経偈(かいきょうげ)一返 (今、この時、この場所で、仏教の教えに出会えましたという意味)
「無上甚深微妙法百千万劫難遭遇、我今見聞得受持願解如来真実義」
(むじょうじんしんびみょうほうひゃくせんまんこうなんそうぐう
がこんけんもんとくじゅじがんげにょらいしんじつぎ)
3、般若心経 一巻唱える。これは教典を見ながら唱える。特に節とか着ける必要もない。やってみると判るのだが、ある程度声を出して唱えるのが気持ち良い。
4、光明真言 三返
「おん、あぼきゃ べいろしゃのう まかぼたら まに はんどま じんばら はらばりたや うん」
(この前に、それぞれのお寺の本尊真言を唱えるのだが、これは略した。
最低必要な所を押えれは良いという考えでやった)
この光明真言は、何故か知って覚えていた。TVでよく浄霊するような番組があるが、そういう時も注意して聞くと唱えられてる、わりと有名な真言だ。
5、大師宝号(たいしほうごう)三返
「南無太師遍照金剛」(なむだいしへんじょうこんごう)
弘法太師に帰依します、という意味、四国遍路では、これのみで通じるという位、重要な言葉。
6、回向文(えこうぶん)一返
(自分も他の人々と共に仏道成就を願ってます、という意味)
「願わくば此の功徳を以て普く(普く)一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜんことを」
7、合掌一礼
数珠を手にして合掌しながら、「ありがとうございます」と言って一礼する。
(『必携!四国お遍路バイブル』/横山良一著を参考にしました)
一人だと、声も出しにくい読経も、2人いると心強い。
「いつも同じところでつかえるんだな〜」
「それはキット、Rさんに憑いてる何かが苦しがってるんですよ〜(笑)」
最初はしどろもどろだった、私とRさんの読経も、場数を重ねるに連れて整うようになって来た。それ以外は全てRさんが仕切るのだが、こと読経に関しては何故か私が仕切った。そのうち、息も音像もぴたりと会う読経をやることも多くなる。
その時は、私もRさんも廻りの風景も全てが共振呼応しているような感覚になり、あまり経験したことのない幸福な気持ちに包まれる。あれは何だったのだろうか…。
炎天下だし、それだけで意識も朦朧としてるのだが、そんな時、お寺の裏手の木立からか涼しい風が吹く時がある。そういう時、読経している自分は生き返るような気持ちになり、もう、この日、この瞬間は二度とないのだという事を感じる。何とも形容し難い感激で胸が一杯になり、思わず読経の声がつまる。
この地球上で生かさている。生きるのを許されてるというか…、見守られてるような、有り難さを感じたように思う。ひたすら感謝!の念…でありました。
本日も、ご訪問ありがとうございました。良い事がありますように!
Jeffrey (日曜日, 22 7月 2012 02:13)
Hi there! This post couldn�t be written much better! Reading through this article reminds me of my previous roommate! He always kept preaching about this. I most certainly will forward this post to him. Fairly certain he�ll have a good read. Thank you for sharing!
planetary-n (火曜日, 12 10月 2010 02:23)
tsuyoshiさん、こんばんは。いつもいつもコメントありがとうございます。tsuyoshiさんからいつもコメント頂くので、ある種、ご負担になっておられやしないかと、懸念もしてますよ〜。
このブログは最初、コメントとかなくても私はかってに一杯ブログ書いてました(笑)。ですので、おやすみされる時はいつでもおやすみされて下さいね〜。
誰がこのシステムを考えたのか…、いつしかコメントを何処かで期待しながら書くブログになってる…それでいいのか?そうでないのか? そうなのか? 精神 分析医、北山修の新刊『最後の授業』(みすず書房)とかを立ち読みすると、ブログに対して疑問を持つようにもなって来ました。やはりブログはパーソナルコ ミュニケーションではどうやらないよう。これは私の考えが間違っていたと今は思ってます。当たり前ですが、ブログで話されないことの方が人生多いのですからね〜。
おっしゃるように、それぞれの思いで遍路をする旅でした。今でも、鮮明にフラッシュバックします。帰って来てから、お寺を見る目が全然違う感じがします。お寺なんてこれまで目にも入らなかったのにですね(笑)。
さて、よくある錯覚ですが、体験したからといって急に人格が立派になる訳はないと思います(笑)。相変わらず馬鹿でつまらないことに悩んだり…でも、みんな、出会ってるものは一期一会なのだな〜とは、よく思うようになりました。
あと、お経を上げるのが少し楽しくなり、機会があれば唱えたくなりました。今まではそういう気持ちはなかったですからね(笑)。
機会がある方は是非、四国に呼ばれたらそれに従えば良いと思います。行けば後は何でもついて来ます。そう思います。ありがとうございます。
planetary-n (火曜日, 12 10月 2010 00:41)
(火曜日, 12 10月 2010 00:37)
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Mr.YYさん!いつもお世話になっております!大変ご返事が遅くなってしまい申し訳ありません。 「せっかくのこの記事、コメント0みたいなので、一筆啓上仕ります」等のお心遣い、まことにまことに、ありがとうございます。大変大変恐縮です。
この遍路覚書は、自分の忘備録、その日その時そこに確かに居た的、確認の為もありますので、コメントなくても私的には最低機能しております。
ですが、わざわざ時間を作って、コメント頂いた方々には本当に感謝しております。ありがとうございます。
「…真言宗の礼拝の所作をよくご存知ですね。」
これは真言宗の開祖である空海、その太師信仰の道が四国遍路のようですので、真言宗の作法にのっとってやるのだと思います。 最初は不慣れでしたが、私共もやりながら覚えて行きました。
四国遍路は、(ガイド本によると)徳を積む修行の旅のようなので、宗派は自由で誰でも参拝出来るようです。実際、外国人の方もおられました。
この日は、札所が互いに離れていて、結構しんどい日だったと記憶してます。土佐高知を『修行の道場』という云われるのが、少し判った気がしました。
デジカメの充電が切れたのは計算外でした。通常家で使用していて、充電すると一週間位は十分持つので、そう思って充電器持って行きませんでした。これは最大の失敗でした(悲)。
一日に撮る画像が多いと、充電も早く消耗する事を学びました。あとの祭りでしたが(笑)皆さんも御参考に!大事な旅には、充電器は是非持って行きましょう。
tsuyoshi (月曜日, 11 10月 2010 21:35)
nさん、こんばんわ。連休はどうすごされましたか?
(*^_^*)遍路の旅も5日目に突入し、すっかり達人の風格です。太平洋に浮かぶ満月素敵だったでしょうね~!!同じ時間だとどの辺の緯度まで、同じ月が見えるのかな~。そう思うととても不思議な気持ちになります。(@_@;)
nさんもRさんも色んな気持ちを込めて、今回の遍路を実行されたんだと思います。素晴らしい体験をされましたね。
Mr.YY (月曜日, 11 10月 2010)
こんにちは、Nさん。せっかくのこの記事、コメント0みたいなので、一筆啓上仕ります。
四国遍路に行かれたんですね。こまめに撮ってある写真といい、心理描写の細やかな記事と言い感心して読ませて頂きました。それにしても、真言宗の礼拝の所作をよくご存知ですね。Nさん曹洞宗じゃなかったですか?読ませて頂きながら、自分がお遍路に参ったような気になって、お陰様で得した気分です。