雨の日の田圃は…

水位の管理が必要。

100626(土)雨 名実ともに梅雨真只中。こういう時、田圃はどういう状態なのか?、何の作業があるのか?、皆さんは御存じでしょうか? こういう事は、問われなければ、一生考えることもないかと思いマス(笑)。

 

田植え後の田圃では、雨の日、田圃の水位の細やかな調整を必要とします。ですので、雨の日ももちろん、とにかく朝夕、田圃の様子を観に行くのデス。

 

『田見舞』という言葉が、農の本では専門用語としてあるようです。このあたりではその行為に特に言葉はありませんが、地域の皆さんあたりまえのように、それをやっておられマス。それはたぶん、以下のような事なのだと思います。

 

「ーー草木の気の自得とでもいえようか。こうした草木と人との共振構造が生まれるのも、人の頭脳があるからではなく、同じいのちあるものとしての同質構造をもち、同じように感受しあう能力をもっているからなのであるーー」

 

(『講座 人間と環境3 自然と結ぶ〜農に見る多様性〜』昭和堂刊〜『半農半Xという生き方 実践編』/塩見直記著/ソニーマガジン(2006)P58より)

 

朝夕『田見舞』することによって、私たちの意識と稲の意識が共振し合い、より良い稲が出来るのだと直感します。

 

雨の日は、田圃の水の出口を少し開け、多くなる水を溝に落とします。

判りにくいかもですが、仕切り板をずらし右端を開け、水を落としてます。

田圃に入って来る水を一時的ストップします。つまり雨量を考え水位を適切に(浅すぎず深すぎず)調整するわけです。これは雨期、日本中の田圃で行われていることです。

 

 本日も御訪問頂き、ありがとうございます!良い事がありますように!

 

 

 

 

コメント: 2
  • #2

    planetary-n (水曜日, 07 7月 2010 00:39)

    ラフィキさん、遅れましたが、コメントありがとうございます。

    ここの田圃は十年前位に補助整備されたものです。それ以前は形も色々の作業はしにくい田圃でした。田圃と何も関係ない人たちは、棚田が美しいとおっしゃるのですが、実際作る側になると、もの凄く、大変な作業があるということを殆どの方はご存知ありません。何がどう、大変なのかじっくり説明出来ますが、またの機会にします。

    都市近郊に生家があられ、生まれ育った風景が個人の思惑などに関係なくどんどん変貌していく姿を見つめて来られたラフィキさんのお気持ちは、さぞや…と、お察しします。ですが正直、私などが辿り着けない、伺い知れない領域です。

    何故ならば、私は、廻りの風景が自分が生まれた頃と、(或はそれ以前から、)殆ど風景が変わってない地域に住んでいるからです。その風景の良さに麻痺している所があります。どうかすると、その代わり映えのしない、閉ざされたような風景に、いささかうんざり?する時も正直あります。なんと、ラフィキさんから遠いことでしょう…。

    しかし私達は、少なくとも知り合ってしまいました。こんなに田舎というもの対して対極的な立場に在りながらもです。それはキット何か、交感すべきものがあるからかもしれません。出なければ出合わないハズです。そのように直感しています。

    味わい深い貴重なお話を聞かせて頂き、深く感謝致します。ありがとうございます。

  • #1

    ラフィキ (月曜日, 05 7月 2010 13:48)

    Nさん所は、整地されている田なので苦労は少ないですよ。

    爺の生地は関東平野の貧乏な村でした。だから水の奪い合いが酷かったように思います。
    爺の家は古いものだったので、水のある所を優先して貰い田を作っていたように思います。水がある所「しぼれ水」とか言っていました。要するに湧き水です。これは冷たく冷害を引き起こしても良いくらいなものでした。しかし用水の掘は細くて、ままならなかったように思います。だから夜中に奪い合う事が起きるのですよね。

    昔懐かしい言葉に「地せぶり」と言うのがありました。これは他の土地を自分のものにして利用していくことです。整地してなければ、自由に出来そうですよね。
    用水堀の片側<細い畦>を無くして自分の土地のようにして稲を作っている人もありました。貧しさからなせる業なのでしょう。せぶってしまった人も代が変われば平気で先祖の土地・・・として、稲を作っていましたから・・。
    しかし、今は時代が代わって東京のベッドタウン・・・団地になりました。だから子どもの頃の田園風景は見ることが出来ません。四季の変わりを何で感じているのだろうかと、思うことがあります。