久々のヌースレクチャー

ヌースレクチャー2010 in 福岡 Vol.9

100515(土)晴れ 田圃の苗作りの間隙を縫って、久々に福岡、ヌースレクチャーという宇宙論の勉強会に出席。昨年8月、約5年振りに再会され、既にもう9回目を迎えている会合だ。

 

今年は、例の地域の肝入りの仕事とバッティングし3ヶ月も不可抗力的に行けなかった。今年になって初めての参加である。若干、いや、相当浦島太郎的なのだが、そこは、かれこれ10数年、曲がりなりにも関与して来た宇宙論。数回位出なくったって平気なのだ。どのみち、トテモ難解な部分があるので、完全に理解出来る人はまずいないかと思う。しかし、今回も、北は北海道札幌から、名古屋、大阪、岡山、広島…と、全国からの参加者。佐世保なんて近いうちなのだ。

 

参加者の中には、米国ニューヨーク州に在る、物理、生医学、環境科学の研究を進める米国エネルギー省が管轄するブルックヘブン国立研究所で、RHIC(相対論的重イオン衝突型加速器)を用いた研究を数年間行っていたという若き理学博士(京大理学部博士課程)や、世界中を巡りアフガニスタンでタリバンに遭遇したとおしゃる方、また、私のリンクページでも御紹介し敬愛している数と形の研究家、小野満麿氏等も参加されている。その他、大和言葉研究家の方やヨガの先生等、まじハンパではない集まりだ。

 

日々の殆どを最果ての村で田圃やイノシシの被害やら地域のお年寄り相手に暮らしている私にとっては、この日常との目眩を伴うかの落差がタマラナイ。ヌースレクチャーを主宰している半田広宣氏の本のうちの一冊も英訳され、米国でも出版されている。ある意味、世界が注目する宇宙論でもあるのだ。(米国だけで「世界」とはちょっとオーバーだが…)

 

では、その宇宙論とやら、一体何がそんなに全国から人を集めるのか?これまでの既存の宇宙観、私たちが親しんで来た宇宙観と、何がどう違うのか?

現ヌーソロジーをレクチャー中の半田広宣氏。
現ヌーソロジーをレクチャー中の半田広宣氏。
全国より集まる…。
全国より集まる…。

宇宙論とは別の言い方をすれば世界認識である。世界認識とは、あなたが見る世界の有り様である。世界認識は、歴史を辿ればお判りの通り、その時代によって実はかなり変化して来ている。

 

その昔、古代バビロニアでは世界は平面であると考えられていた。ところが、その後発達した天文学や幾何学を学んだ科学者の1人、古代ギリシャのピタゴラス(570?B.C.~497?B.C)が大地は平面ではなく球体であると唱え、その後のアリストテレス(384B.C.~322B.C)が論理的説明をしている。それで世界は平面から球体になった。

 

2世紀にはエジプト、アレキサンドリアに住む、プトレマイオス(127~160 年頃)等が天動説を編纂し、「地球が宇宙の中心にあり、太陽、月、星がこの地球の周りを回っている」と唱える。これは結構永く信じられていたが、15世紀になりポーランドからコペルニクス(1473-1543)が登場し、それまで流 布していた地球中心宇宙観を、地球そのものも動いているという地動説を唱えた。以後地球が動いていることは常識になった。

 

近代の科学的思考は、デカルト(1596-1650)の理性中心主義や、ニュートン(1643-1727)の古典力学を源とし、宇宙が物質で出来ているといった還元主義機械論に依る信仰から成立している。

 

そして現在、私たちが学校で習って来た宇宙観もそれを元に記述されている。そういう宇宙観を皆一応選択して来たのである。TVの「NHKスペシャル」なんかで説明される宇宙もそれに準じている。

 

しかし、この宇宙観の源となった還元主義や機械論では、ミクロの世界である量子力学や、1927年ドイツの論理物理学者ハイゼンベルグによって提唱された不確定原理は、説明不可能であることが既に判っている。つまりミクロの世界では、私たちが習って来た近代科学の考えや法則は通用しない、ということだ。

 

これはチョット皆さんもよく考えてほしい。つまり私たちを構成する細胞、その中にある分子、分子は原子から出来ている。その原子は素粒子と呼ばれているものから出来ていて、素粒子は電子や原子核とよばれるモノから構成されている。そして量子力学は、その電子や原子核を扱う分野なのだ。

 

…ということは私たちを構成する細胞は、近代科学が全く通用しないもので出来ているということである。この事実を知ってる人は知ってるが、残念ながら未だ知らない人も少なくない。

 

話を戻すと、そういう訳で私たちが習って来た宇宙観はこういった不完全な考えで構成されたものを習い信じて来ているとも言えるわけでアル。

 

                ★

 

「ヌース」とは古代ギリシャの言葉で「宇宙的知性」とか「叡智」という意味である。この半田ヌース理論とも言うべきものに出会ったのは1994年、もう17年も前の事だ。最初にこの理論の提唱者である半田氏の講座を聞いた時 、その明朗で安定した講義内容の向こうに垣間みえる、尋常でない知性に瞠目した。

 

私より少し年上である氏から語られる話は、F・カブラやD・ボーム等の’80年代ニューサイエンスの物理学から、古神道、タオイズム、量子論、或はユダヤの神秘思想カバラ、或は、ミンコフスキーの4次元不等式、或は、古事記の日本の神々、五芒星、六芒星の謎、ホログラム、フラクタル理論、グノーシス古代宇宙論。ピラミッド、神聖幾何学、黄金比、プラトン立体、マヤ暦。そして回転…そう、全てのものは回転している。宇宙(ユニバース)は、まさに、ユニ(ひとつの)バース(回転)なのだ…

全宇宙を全存在を語りきってしまうかの勢いで溢れ出る知性。それらの言語を駆使したある宇宙観の説明に圧倒されっぱなしであった。その時、私たち誰もが思ったものだ、天才とはこういう人のことを言うのではと…。そのどれもがつけ刃ではない知識。それらを手がかりとしながらひたむきな熱意で理論が語られる…。

 

やがて少しづつ垣間見えて来る全く想像さえつかなかった驚愕の世界認識、それはミクロとマクロが私たちの意識を中心として幾何学的な階層的宇宙構造を提示し共鳴律動している宇宙観だった。宇宙はまるで鉱物の結晶構造のように美しいデザインで日々律動している。物質と精神の統合を俯瞰する構造。それらが信じられない整合性を持って提示されて来るのだ。直感的には理解しつつあるが、さて、では自分が人様に説明するのは至難の技。長くジレンマに落ちいっていた。(今もってそうなのだが)

 

               ★

 

そういうある年、ヌース理論の、本作りに参加する御縁を頂いた。理論2冊目の本の、文章脚注の一部を、半田さんの御依頼を受け、自分が担当することになったのだ。本作りは、基本、半田氏と、当時の半田氏の秘書のSさん、3人でパーツに別れ作成して行った。数ヶ月掛かったと思う。出来た本が『2013:シリウス革命』(たま出版1999年)だ。今でも全く内容色褪せない。しっかり濃縮された硬派宇宙論の本だ。ピピピ、と来た人はどうぞ!(嬉し恥ずかしながら、巻末に私の名前もクレジットされている)

 

一緒に作業したSさんはかなり年下なのだが、私などより老成した文章を書く凄く才能ある人だった。また、それにも増して、もの凄く性格が良い人で信望も厚い。「絶対文才あるから何か小説書いたらいいよ~」と薦めていたある年の冬、最初に書いた小説でイキナリ、講談社主催の第47回「群像新人文学賞」を受賞した!

 

文芸誌『群像』と言えば、日本を代表する小説家、村上春樹や村上龍を輩出した老舗硬派文芸誌だ。親しい知り合いを招待し、ささやかだが受賞祝賀パーティーを企画したのを憶えている。受賞作『サージウスの死神』(講談社2005年)『ソードリッカー』(講談社2009年)の2冊の本を現在上梓。小説家 佐藤憲胤(さとうのりかず)その人。現東京在住。佐藤さんのことはまた別の機会に改めて…。

 

まったく、これらと、お米作り野菜作りや、地域行事の日々と、一体、どうリンクするワケ? ワカンナ〜イ。とおっしゃるもの無理はないことと思います。簡単デス。ステレオタイプの人間など存在しないということですね。このどれもが私なのでアリマス。

  たま出版(3200円)
  たま出版(3200円)
コメント: 2
  • #2

    planetary-n (土曜日, 29 5月 2010 23:54)

    ラフィキさん、こんなところまで目を通して頂き、まことにありがとうございます。「今回は何回のブログだね」は、たぶん、「今回は難解なブログだね」だと推察します。時々こういうのを書きたくなるのですね〜。お許し下さい。判りやすくかけるように精進します。

  • #1

    ラフィキ (水曜日, 26 5月 2010 22:51)

    今回は何回のブログだね。爺は単細胞・・・少しも分からない。ああああ<嘆きの溜息>