プロジェクトの後片付け。

組んでいた竹を解体する。

11月23日(月)。稲こぎ後、天気がずっと悪く放置していた、竹組だが、久し振りによい天気になったので、解体し始める。

 

稲をかった切り株から、二番目の新芽が出ている、これを『ひこばえ』というらしい。佐賀県に住んでおられる九州では有名な農民作家、山下惣

一氏の代表作に『ひこばえの歌』というのがあるのだが、ずっとその表題の意味を知らなかった。こちらに戻って来て、気になったので、隣町の図書館から借りて来たが、結局読まずに返却した。(因みに私の町にはもちろん図書館はない。本屋さんもない。コンビニは一件だけある。)また借りてちゃんと読もうと思う。

 

本について書くと長くなるのでここではさらりと流すが、当地は活字文化不毛の地である。自転車で5〜10分で行ける範囲に図書館が四つもあった図書館天国の以前のところとは別の惑星である。私が思う大きくちがう理由は、当地は車主体の生活、自転車も皆無。一方都市は主に電車JR、そしてバス自転車中心。車運転では本読めない。都市は電車を待つ、電車の中、何かを待って居る時、並んでいる時、喫茶店で、食べ物屋で、ベンチで、エスカレーターで、常に本を読む環境がある。当地はない。      

 

信じてもらわなくても全く構わないけれど、平均すると毎年、年間200冊以上はゆうに本を借りていた私だが(毎年、図書館の貸し出しレシートをノートに貼り一年終わったらコピーしてたので数が判る)この惑星に来て年間十数冊しか読まない。うち精読したのはほんの一握り。読書シチュエーションが実に少ない。そもそも本ナンカ読むこと事態、悪い事のような雰囲気が当地には満ちている気がしないでもない。日に日に脳のシワが伸びていく音が聞こえる。元々少ないのがさらに。

 

とにかく、ツタヤも紀伊國屋も丸善もジュンク堂も福家書店も、それから、あれ程、あちこちにあって当たり前と思っているブックオフも全て、別の惑星の風景なのでアル。ネットだけで別の惑星と繋がっている。

当初の主旨とは違ったエンディングになった。

 

 

 

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コメント: 2
  • #1

    ラフィキ (木曜日, 26 11月 2009 22:32)

    テーマとはそれた分、書物への未練がよーく伝わってきます。爺は求めてきても積んであるだけなのに、だからそんなにも深い思いは無いのだが・・。
    ひこばえから始まった纏めであるが、これはこれで良いですね。
    爺の棲息地でも本屋は車で30分走らないと無いですよ。しかし、頼んで取り寄せて頂くことが多いかな。まあ、人口1万人ですからね。小さな町ですよ。

  • #2

    planetary-n (金曜日, 27 11月 2009 00:10)

    ラフィキさん、コメントありがとうございます。
    そうですね、ラフィキさんところも、大都会の田舎?ですものね〜。グーグルマップで時々見てますよ〜。

    ネットのお陰で、古書も買えるし、かなり有り難いと思います。しかしネットでは感じることが難しい今の時代性というのが、大型書店の平積みをざっと見るだけで、気配として判りますよね。回遊し偶然の出会いというのもあり、書店を巡る魅力のひとつです。

    それから、専門書棚はやはり魅力です。地方の郊外書店は取次店が並べた置き方以外何の工夫もありませんからね。大きな大学とがあると書店とか出来るのですが…本の話はきりがありません(笑)。