惑星ハシグチで、巨匠ミレーを想う。

「落ち穂拾い」in 惑星ハシグチ。

私の家の玄関には、私が物心ついた時から同じ絵が飾られいる。あまりにも昔から同じ絵が飾らているので、日頃は殆ど見ない。殆ど見ない私が、最近しげしげと見たくなった。

 

家は典型的な日本家屋様式なので、玄関にはシャクヤクやボタンの日本画とか、そういうのが普通お似合いなのだが、私の家はそうではない。昔からそこには、ミレーの『落ち穂拾い』が飾られていた。

 

特に立派な複製でもないし額装も大したものではない。しかし、その絵を相当昔、きっと亡き父がまだ若い頃だろう、それをそこに飾ろうとした気持ちに思いをはせる。今程、絵画等の複製が出回る時代でもない頃とはいえ、他にも選択の余地はあったと思う。なのに何故、この絵を玄関に飾ったのだろうか…。

落ち穂は田圃いちめんに広がって落ちている。
落ち穂は田圃いちめんに広がって落ちている。

10月27日(火)、稲刈り〜掛け干し後、初めて田圃に行く。少し散乱したままの竹等片付けた後、ほぼ快晴にちかい好天だったので、掛け干しの画像を撮る。

 

その後は、田圃の端から、ゆっくり下を見て歩き、取り落とした稲を一つずつ拾う。遠くの方で何かの作業音がする以外、辺りはとても静か、時々、干した稲が風に吹かれ乾いた音をたてる。

 

つい2日前にはこの場所に8人ものひとがいて、作業していたなんて信じられない。また、私と惑星ハシグチとの、静かな時空間が戻って来た。

 

ゆっくり真っ直ぐ歩いて、反対の端まで来たら、くるりとターンし、また地面を見て歩く。落ち穂はまんべんなくあちこちに落ちている。そう、アナタが思うように、自分たちで手がけた田圃の稲は、一つ残らず拾いたくなる。そういうものだと思う。


 見わたすかぎりは 黄金の大地  

 秋風にそよぐ たわわなる稲穂

 彼方聞こゆる 刈り入れの唄声

 夕暮れの中 響きわたる 鐘の音よ

 

 豊なる実り 与えし神々

 我等 祈りを 捧ぐ

 大いなる恵み 大地の糧

 長き 冬の前に

 

 穏やかな陽射し 染まり行く山々

 荷馬車に揺られて 運ばれる作物

 遠く聞こゆる 祭宴の唄声

 あちらこちらに 立ちのぼる 野火の煙

 

  —『大地の糧』(Voice:1983)—

 

 

 

これは、日本の最古ロックバンド「ムーンライダーズ」の鈴木慶一氏が、1983年、若き無名のアーティストを応援すべく作成されたオムニバスアルバム『陽気な若き水族館員たち』に挿入されている曲の歌詞で「ヴォイス」というユニットが歌っている。この曲は今回の稲刈りにも手伝ってくれた友人messershimitt氏が20年位前に私に教えてくれたやつだ。(YouTubeにアリ)

 

氏の音楽センスの良さは昔から定評があった。(詳しいのは音楽だけではないけれど)、久しぶりに聴いても中々良い詩だ、誰が作ったのか?、急遽、messershimitt氏に調べてもらったら、直ぐメールが届き、それが、'80年代初頭、戸川純のユニット「ゲルニカ」のメンバーで、特異な画才を発揮していたイラストレーター、太田蛍一氏ということが判明。当時(今もか)リスペクトしていた人だっただけに、なおさら驚く。

 

ミレーの『落ち穂拾い』は2003年夏、福岡市美術館にて展覧会があり実物を見た。静謐な力のある絵だった。『落ち穂拾い』は稲刈りの最終の作業で、決して豊かではない人々が日々の糧にと、拾っている絵だ。亡き父はこの絵の持つ精神性に共感していたのだと思う。居間にも同じくミレーの『晩鐘』飾ってあったがいつの間にかなくなった。私はここに再び、同じ絵を飾ろうと思っている。

 

 

 

コメントをお書きください

コメント: 6
  • #1

    notch+i (月曜日, 02 11月 2009 13:12)

     昔、白米が少なく貴重だった時代。貧しくて米が買えない。長女、次女、三女………と続き初めて生まれた男の子。男の子は家の跡継ぎ。その子を大事に育てたという例え話。『落ち穂を拾って米の飯を食べさせた。』
     そんな話をしていた方がいたことを思い出しました。その方が本当に落ち穂を拾ったのか、単なる例え話だったのかわかりません。

  • #2

    planetary-n (月曜日, 02 11月 2009 14:00)

    notch+iさま、コメント、まことにありがとうございます。

    落ち穂は集めると、2〜3束になりました。
    お米はこのプロジェクトを見て頂ければ皆さんお判りのように、約半年間、沢山の過程を経て、私やアナタのお口に入ります。ごはん、残さないように、したいものですね。

    お米に限らず、全てのものを大事にしたいものですね、縁があって今そこにあるのでしょうから。物質も精神も実は、同じ構造で出来ている事に早晩、皆、気付きはじめることと思います。

  • #3

    ラフィキ (水曜日, 11 11月 2009 15:59)

    我が子を慈しむように育てたこの時間、雨にも、風にも・・太陽にも、一喜一憂して過ごした。
    米は88の手間がかかるとか、実際に行ってみて如何ですか。昔の人は上手いことを言いますよね。
    残さず食べろ何て言ったって・・分かるのは農家の子どもくらいしか居ないのでは無かろうか。今は飽食の時代、もったいない・・何て言葉は出てこないのだろう。残しておきたい言葉だと私は何時も思うのだが・・。

  • #4

    planetary-n (水曜日, 11 11月 2009 22:11)

    ラフィキさま、コメントありがとうございます。

    

実際やってみて、そう実感しますね。特に苗を作る頃はかなり神経を使う気がします。苗を作っている約20日間、殆ど家を離れられない。何かを生み出す為の巣ごもり状態になります。苗の善し悪しで稲の状態が決まるともいわれますので。

    
全体を振り返るには未だ少し早いのですが、幸運が幾つも重なってここまで来たという感じ、これは見えない世界での配慮があったのではと?すごく思います。それらの存在に対して深く感謝の気持ちです。

    

そうですね。飽食の時代、山のように食べ物の残飯が出る日本ですが、同じ地球上の別の国では毎日何十人という人たちが餓死しています。世界の冨は偏在してますからね。こんな飽食の時代も、そう長くは続かないと思います。何時、天の制裁が下っても、もはや止む終えないと個人的には思います。

    

また一方では、今の人間が進化の最終形態とも私は思っていないです。少食の今の若い人たちは、ある意味進化した人たちだと思ってもいます。

昔の人程、良く食べますからね~。宮澤賢治のあの有名な詩の一節には、『一日玄米四合~』です。今、食べますか?四合も!独りで!一日に! それは食糧難の時代の意識が、依然として空腹の神経を支配しているせいのでは?とも思ったりもします。

  • #5

    ラフィキ (金曜日, 13 11月 2009 14:08)

    小食の時代・・なんだ。爺には耐えられない・・だから小さな身体で70kgも維持している。痩せなさいと何時も言われているんだが・・駄目なんです。
    爺が若い頃アフリカに居た。そこで養鶏の仕事をしていたんだ。肉鶏は時期が来れば屠殺されて売られていく。その時にボランテアの如く手伝いに来て帰りに頭と足を貰って帰って行く。日本でこんな部位食べる人いますか。<まあ、ダシ取るのに使う人はいるのだろうが・・>。本当に食料の大切さは感じてきましたよ。

  • #6

    planetary-n (火曜日, 17 11月 2009 04:40)

    ラフィキさま、コメントありがとうございます。
    

アフリカで、かような、貴重な体験をなされたら、確かに食料の大変さを痛感されますよね。何もラフィキさまに耐えて、と言っている訳ではないじゃないですか~。お好きなだけ召し上がり下さいな。

    



それはそれとして、それでも、世の中には不思議な人もいて、私の知っている気功の先生は一日一食半位しか食しません。(実際そばで働いていたので嘘ではない)、また世界には何人も、食べないで生きている人はいるようです。

(食べない人、ネット参照)

『不食~人は食べなくても生きられる』という本を出した方も近年います。元気そうなオヤジです。山田鷹夫著/三五館/2004年)http://www.chiebukuro-net.com/fusyoku/





    空気中には、酸素、二酸化炭素等、科学的な分類では解明出来ない、生命エネルギーがあると古代から云われ続けています。それは、古代エジプトでは『カー』古代ヘブライ文化圏では『ナフシャ』古代ギリシャでは『プシュケ』インドヨーガでは『プラーナ』中国では『道(タオ)』日本では『気』、…多分同じものをそう呼んでいるのでしょう。それらを呼吸法などで取り込み、余り食べない人が居続けるのもまた、事実ではあります。