そろそろ稲刈りの下準備を…。

田圃の畦(あぜ)を整備する。

9月2日(水)。稲が生長する今は、田圃には十分な水が必要。

しかし、やがて稲が生長し終わると、もう田圃に水は必要なくなり排水する。

 

スムーズに排水出来るよう、田圃の溝を整備する作業を、今日から始める。このあたりでは、この溝のことを”ジョウヨケ”と言う。漢字でどう書くのか?母に聞いたが判らない様子。やれやれ。

 

よく排水し田圃を乾燥しておかないと、ぬかるみが出来、稲を刈る機械を田圃内に入れた時、土に埋まってやっかいなことになる。

 

今後の作業がうまく行きますように…祈りを込める。

田植え前に一度、整備したのだが、いつの間にか草と土に覆われている。
田植え前に一度、整備したのだが、いつの間にか草と土に覆われている。
とにかく少しでもやる。やった分しか当たり前だが進まない。理屈も講釈も不要なのでアル。
とにかく少しでもやる。やった分しか当たり前だが進まない。理屈も講釈も不要なのでアル。

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コメント: 2
  • #1

    ラフィキ (金曜日, 04 9月 2009 11:53)

     常に畑や田んぼに目をやって生活していく・・。
     私には出来ないな。40年間同じ仕事をしてきたら、もう、疲れてしまった。今は暢気な生活<毎日草取りですが・・>で楽しんでいます。
     偉いなあ・・、何時までも夢を抱いて頑張っている惑星の操縦士さん。益々の発展を祈っていますよ。

  • #2

    planetary-n (月曜日, 07 9月 2009 14:30)

    ラフィキさん、コメントありがとうございます。

    『常に畑や田圃に目をやって生活していく‥私には出来ないな』、私も出来ませんよラフィキさん。

    



これら、全ての作業の采配は、母が指示します。私は言われた通りに、時には、何やらぼやきながらやってるにすぎません。作業の全体の行程、その時期の見極めは長年やっている人でないと判らないのではと思います。





    『何時までも夢を描いて頑張っている‥』ウ~ム、そう映ってるのですかぁ~、だとしたら、HPいうメディアのマジックですね。

私は夢ないですねぇ~。夢がないと生きられない、なんて、よく言いますが、私はずっと夢ないですが生きて来れました。夢なくても生きれるもんです。私がそうですから(笑)。



だいたい、生きているという状態は 「生きている」と自分が自覚する以前からすでに存在しているわけで、「生きられない」などと自分が主語となって語れるモノではないと思うわけですね。





    頑張ってもいないですねぇ~、私はプロフィールにも書きましたが、頑張るの、とっくの昔に疲れています(笑)。小さい頃から、親からその言葉を言われ続けて育ちました。一体何のために頑張るのか?よく分からないまま。


そうする事が楽しい人はそうすればいいと思いますが、『頑張れ』とは、『今のままではいけない』という意味合いが裏に隠れていそうな気がします。つまりそのままで、肯定、認めてもらえないわけですね。頑張らないと認めてもらえない。そういう人生はしんどくなります。

    

頑張ろうが、そうでなかろうが、何であろうが、あなたはこの世に存在してるだけで、尊いし、存在そのものが嬉しい。生まれて来てありがとう。親は子供に対して本来そうあるべきだと思います。



子は親を選べない、とはよく言われますが、いわゆる精神世界では、

    『親も子も生まれる以前、互いに同意のもとで生まれた、』というのがだいたい定説です。であるとしたら、そういう親と承知で生まれて来たのですからしょうがないですね。文句もいえないのですが。あはは。

    

田圃や惑星農が一見頑張っているように見えるのは、他に生きる術を此所で見い出せないので、消去法的に好む好まざるとに関わらずやるしかないからです。私は完全に資本主義経済の落ちこぼれ。完全負け組ですので。もう~とっくの昔から負けてます、闘わずして。いや、自分なりに闘ったが疲れました。

    

実家がもともとやっていた事だし、大好きではないが、作業じたいは大嫌いではない。という感じで(今は)やってるにすぎません。ごめんなさい。でもいつも、コメント頂き本当に感謝です。ありがとうございます。